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ニュースレターNo.11/1998年3月発行

1.巻頭言 “もう5年が経ちました”

JPNIC理事 松本敏文

二度目の引っ越し

 私がインターネットに携わりはじめて、早いものでもう5年が経ってしまいました。右も左もまだよくわからないままサービスを開始したのが、商用インターネットサービスの草分け“SPINインターネットサービス”です。1993年の初期は、IPサービスなどなく、すべてUUCPでサービスを提供し、メールとニュ―スとそしてファイル転送が主なアプリケーションでした。ドメインも当然のことながら、ac.jpが最も多く、co.jp等は数えるほどしかありません。したがって、今ではとても考えられない事ですが、ほぼ100%自分のほしいドメイン名を獲得することができたのです。

 さて、このような商用インターネットの創成期に、すでに日本ネットワークインフォーメーションセンター(JPNIC)は活躍しており、現在日本のインターネットの第一人者たちが、ボランティアで、手弁当で運営に汗を流しておりました。当時の事務局は東京大学の大型計算機センターに間借りをし、運営委員会もほとんどが同センターの3階大会議室で行われていました。運営委員会は、現在と同様に公開を原則とし、傍聴は自由でした。日本にインターネットを普及させようと熱い討議を重ねる運営委員会に、ある日突然少し歳をとった、ネクタイに背広姿の、どうにも雰囲気にそぐわないオジさんが現れたのはちょうどその頃です。JPNICの面々は、その何も知らない場違いを絵に描いたようなオジさんに、優しく、そして懇切丁寧にたくさんのことを教えてくれました。そのオジさんとは何を隠そうこの私であり、このお陰で商用インターネットサービスは日の目を見るようになったといっても過言ではありません。JPNICの精神は今もまったく変わっておらず、インターネットの発展に尽くすという精神は営々と続いております。

 さて、JPNICも会員の皆さんのご協力のもと、何とか独り立ちができるようになり、2年前に古巣の東京大学大型計算機センターの間借りから、一度目の引っ越しでお茶の水に事務所を構えることができました。狭いながらも自分の城を持つのはやはりよいものです。事務局も一層その業務に拍車がかかり、仕事の質も、こなす量も、飛躍的に伸びていきました。

 一度目の引っ越しからは皆さんもよくご存知の通り、世の中インターネットの一辺倒。会員数も、ドメイン数も、そしてIPの割り当てもたいへんな伸びを示し、インターネットはインフラの基盤を担うに至ってしまいました。JPNICはこの間に、郵政省、文部省、通産省、科学技術庁の4省庁共管の社団法人になったのです。当然、業務量は増える一方、質は維持をしなければなりませんから、“あっ”という間にオフィスは手狭に……。

 かくして、二度目の引っ越しは行われたのであります。5年先まで見込んでスペースを確保、会員の皆さんが気軽に来れるよう設計を施してあります。時も折り、伊藤みどりが聖火に点灯した時、二度目の引っ越しが無事完了し、新たなJPNICの聖火にも火が灯されました。

チケット食います

 第18回長野冬季オリンピック大会は2月22日無事閉会しました。日本が史上初めて10個のメダルを獲得し、メダリストたちはみんな屈託のない、メディアにぴったりの茶髪、ピアス、笑顔の美しい若者でした。

 JPNICが二度目の引っ越しをした記念すべき日に始まったこのオリンピックは、何か他人事のような気がしなく、私の所属する企業(実はAT&T)が、アメリカの選手団とその家族たちをサポートするファミリープログラムを運営したこともあり、3度長野に足を運ぶ機会がありました。

 テレビで見るとは大違い。世界各国からの選手や家族や応援団で、とっても国際色豊か。新装なった長野駅を起点として、善光寺口、東口とも大勢の人でごった返し、オフィシャルスポンサーのテントや看板が色鮮やかに雰囲気を盛り上げておりました。

 “チケット食います。チケット食います”。駅前の階段を降りるあたりから、日本語離れした日本語の掛け声が聞こえてきます。妙に人懐こく近づいては消え、消えてはまた近づく。オリンピックの会場に初めて来た私にとっては、たいへん興味深く、なるほどオリンピックでは人に声をかけながら貴重なチケットを食べるものなのか?と、しげしげと声をかける若者を見てみました。すると何ということでしょう。その若者の手には日本語で書かれた看板が……。

 “チケット買います!”そうです。彼らはわれわれが東京ドームでよく目にするダフ屋さんだったのであります。オリンピックはかくもインターナショナルなイベントなのであります。

 さて、この長野オリンピックは当然インターネットで最新情報が流され、インターネットのアクセスが提供されました。期間中のアクセスが何千万件あったのか、いずれ報告されると思いますが、2年前のアトランタオリンピックの総アクセス件数を、わずか3日で追い抜いてしまうほど。世界中から24時間休む間もなく、ひっきりなしにアクセスがあり、常に最新の情報を提供する。誰でもが、いつでも、どこからでも情報を提供でき、取得する。もうインターネットは生活の一部になってしまったという実感を覚えました。

 そして、大きな事故も無くサポートをされたIBM殿には感謝をしたいと思います。日本のインターネット史上でも一大イベントでありました。JPNICのシステムもこの期間まったくトラブルも無く安定稼動をし、少なからずオリンピックに舞台裏から貢献できたものと思います。

 世の中、とんでもないスピードで進んでいきます。変革についていこうとすると、ややもすると取り残されてしまいます。やはり先取りしなくては。2000年のシドニーでは、2002年のソルトレイクシテイーでは……インターネットはどんな貢献をし、どんな使い方をされてるのでしょう。

 この激しい時代の変革の中に生き、JPNICの変遷に関われることを幸せに思います。これからも、インターネットに携わった一人の人間として、21世紀の序章を皆さんと作っていきたいと思います。

 とりとめのない巻頭言でした。
1998年早春

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