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ニュースレターNo.12/1998年12月発行

2.最新トピックス

2.2 インターネット・ガバナンスをめぐる最近の国際情勢

(国際連携検討部会)

 表題の「インターネット・ガバナンス」は、英語で書けば“Internet Governance”で、インターネットの統治、もう少し平たい言い方をするなら、インターネットを管理する仕組みに関する議論のことです。

 最近この問題に関する国際的な議論が盛んに行なわれています。具体的にはIANA(Internet Assigned Numbers Authority, http://www.iana.org/)の再編に関する議論です。ご存知の方も多いと思いますが、インターネットは、アメリカの国防や科学研究の予算による援助もありましたが、現在まで基本的にはきわめて草の根的な努力の集積によって発展してきました。そのため、インターネット全体を管理する中心的組織というものが明確に定められないままこれまで発展してきたのです。ドメイン名やIPアドレス、各種プロトコルの番号など、インターネットを運営するうえで一元的な管理を必要とするものに関しては、実質的には南カリフォルニア大学の情報科学研究所(Information Sciences Institute)のJon Postel教授が中心となって活動してきた IANA のもとで割当・登録の作業が行なわれていましたが、しかしこのIANAは組織としての位置付けが明確な団体とは言い難く、いわば Postel 教授等の活動そのものがIANAである、という以上の説明はできないというのが実情でした。

 インターネットが今日の規模になるまで中心的管理組織なしで発展してきたことはある意味で驚くべきことであり、インターネットにおける草の根的活動の素晴らしさを物語っているとも言えますが、さすがにここに至って今後の発展を考えるとより明確な組織化と法律的な裏付けが必要となってきたと言えるでしょう。そのことが一連の議論の背景にあります。

 以下これに関する出来事を時間を追って見てみましょう。

  • 1992年秋:NSF(National Science Foundation, 全米科学財団)とNSI(Network Solutions, Inc.)との間で、InterNIC 業務の運営(.com .org .net の登録業務を含む)に関する合意成立(1993年1月発効、 1998年9月期限)

    http://is.internic.net/nsf/agreement/agreement.html

     IANAはこのころ既に実質的な活動を行なっていましたが、組織としては確立していないので、合意文書はインターネットに研究資金を提供していたNSFの名前で行なわれました。
  • 1993年4月1日:NSIによるInterNIC業務開始
     当初NSIは小さな会社で、業務を軌道に乗せるまでにいくらかの時間を要しましたが、次第に.comドメインの登録数が増え、NSFとの合意で定められた予算では必要経費を賄いきれなくなりました。
  • 1995年9月14日:NSIは.com .org .netに対する登録料および保守料の徴収開始

    http://is.internic.net/nsf/agreement/amendment4.html

     これにより経費の問題は解決しましたが、今度はNSIが莫大な利益を得るようになり、自分もドメイン名登録事業に「参入したい」と考える人々がたくさん出てきました。また、.comドメインの登録に対して、商標権の立場から異議を唱える意見も出てきて、なかには訴訟を起こす企業も出てきました。
  • 1996年10月22日:ISOC(Internet Society)は、トップレベルドメイン名の追加や商標権との関連の問題を審議するためのIAHC(International Ad Hoc Committee)の設置を発表

    http://www.iahc.org/press/press1.html

     ISOCは米国バージニア州Restonに本部を置く非営利法人で、IANAの法律的な面での保護者の立場を演じてきました。NSFは、IANA, ISOCを含むインターネット関係者の自主的な活動を尊重してきたので、この決定にNSFが口を挟むことはありませんでした。
  • 1997年2月4日:IAHC最終報告書発表

    http://www.iahc.org/draft-iahc-recommend-00.html
    日本語訳:http://www.nic.ad.jp/jpnic/domain/iahc-final-report.html

     7つの一般トップレベルドメイン(gTLD)の追加と、商標権との関係についてはWIPO(World Intellectual Property Organization, http://www.wipo.int/)の役割を期待するという趣旨の報告書です。
  • 1997年2月28日:IAHC覚書発表

    http://www.iahc.org/gTLD-MoU.html
    日本語訳:http://www.nic.ad.jp/jpnic/domain/iahc-gTLD-MoU.html

     これは、先の最終報告書の考えを実現するための具体的なプランを含む文書で、賛同者の署名を世界的な規模で呼びかけました。当時はこのプランに従って着々と事態が進展していくかに見えたのですが、米国のクリントン政権がこの問題に関心を持ち始めて、事態は変化していきました。
  • 1997年7月1日:クリントン政権が文書“The Framework For Global Electronic Commerce”を発表

    http://www.whitehouse.gov/WH/New/Commerce/read.html

  • 1998年1月30日:いわゆる“Green Paper”発表

    http://www.ntia.doc.gov/ntiahome/domainname/dnsdrft.htm
    日本語訳:http://www.nic.ad.jp/jpnic/domain/green-paper.html

  • 1998年6月5日:いわゆる“White paper”発表

    http://www.ntia.doc.gov/ntiahome/domainname/6_5_98dns.htm
    日本語訳:http://www.nic.ad.jp/jpnic/domain/white-paper.html

     大統領上級顧問のIra Magaziner氏がこの件の中心人物で、一連の動きによりgTLD追加の話は中断を余儀なくされました。gTLD追加の話以前に、そのようなことを決定する国際的管理機構を明確にする必要性を論じてきたのです。
     この議論は別の言葉で言えば、IANAの再編問題と言えます。この状況で、NSFは、クリントン政権からの明示的な指示がない限り、ISOC, IANAおよびPOC(Policy oversight committee, IAHC の後を引き継いだ委員会)の決定を尊重することはできなくなったようです。NSIもまた、「InterNICの事業はIANAからではなく、NSFから委任されている」との立場を明確にしています。
     “White Paper”では、インターネットの現在までの民間主導的・草の根的な発展(Private, Bottom-up coordination)を尊重すると明確に述べており、IANA再編に関しても、インターネットの関係者の合意を尊重すると言っています。
     これを受けて、IFWP(The International Forum on the White Paper)が組織され、既に4回の会合を開催しています。JPNICからはGenevaとSingaporeの会合に何人かが参加しましたが、いろいろな立場の人々がいろいろな意見を言う状態で、前途多難という印象でした。
  • 1998年6月19日:IFWP報道発表

    http://www.ifwp.org/press.html

  • 1998年7年1,2日:IFWP-Americsa(Reston, Virginia, USA)
  • 1998年7年24,25日:IFWP-Europe(Geneva, Switzerland)
  • 1998年8年11-13日:IFWP-Asia & Pacific(Singapore)
  • 1998年8年20,21日:IFWP-LA&C(Buenos Aires, Argentina)
     Ira MagazinerはGenevaでは、IANAの再編問題に関しては、「インターネットの関係者の合意を尊重する」という一方で、「統一した合意を持ってこい。もし合意できなければ、米国政府がこの件に介入する」と言いました(http://www.geneva.ifwp.org/rptopeningplenary.html)。これは、インターネット関係者に対する挑戦状とも解釈できます。
  • 1998年9月17日:NSI-IANA合意案(「第4案」)発表

    http://www.iana.org/description2.html

  • 1998年9月19日:Boston Working Group 会合

    http://www.cavebear.com/bwg/

  • 1998年9月28日:IANA 「第5案」発表

    http://www.iana.org/submitted/sub-articles.html
    http://www.iana.org/submitted/sub-bylaws.html

  • 1998年9月30日:The Internet Corporation for Assigned Names and Numbers(ICANN)登記
  • 1998年10月2日:Jon Postel から商務長官への手紙

    http://www.iana.org/submitted/sub-letter.html

  • 1998年10月7日:NSIと米国政府の合意改定

    http://www.ntia.doc.gov/ntiahome/domainname/proposals/docnsi100698.htm

  • 1998年10月16日:Jon Postel逝去(55歳)

    http://www.iana.org/postel/postel-tribute.html

     議論をどうまとめて新IANAの枠組を具体的にどう決めるか?このためにIFWPの幹事会では一旦は9月12,13,19日に最終案作りと批准会議を計画しましたが、結局キャンセルされました。一方水面下で交渉を行なっていたNSIとIANAが合意した新法人の定款案が9月17日に発表され、いくらか方向性が見えてきます。
     しかしNSIとIANAの非公開交渉に疑問を持つ一部の人達は9月19日にボストンに集まり9月17日案に対する意見をまとめて米国政府に出します(Boston Working Group Proposal)。一方Ira Magazinerは、9月17日案に対してコメントを出して欲しいと、日本、韓国を含む各国政府に働きかけています。この行動は9月17日以前から起きており、彼がNSIとIANAの交渉経過について逐次報告を受けていたことを伺わせます。IANAのJon Postelは9月28日にさらに修正した定款案を発表し、カリフォルニア州法に基づき新法人(The Internet Corporation for Assigned Names and Numbers,ICANN)を設立し、商務長官宛の手紙を書きますが、その直後に持病の心臓病悪化のため入院し、10月16日にこの世を去りました。これ以後ICANNが中心となって事態が推移していきます。
  • 1998年10月20日:商務省からHerb Schorr(ISI)への手紙

    http://www.ntia.doc.gov/ntiahome/press/icann102098.htm

  • 1998年10月25日:ICANN初会合
  • 1998年10月26日:ICANNの理事会議長、最高経営責任者(CEO)発表

    http://www.icann.org/icann-pr26oct98.html

  • 1998年10月31日:ICANN理事、Boston Working Group,Open Root Server Confederationの電話会議

    http://www.iana.org/icann/notes-31oct98.html

  • 1998年11月5日:Jon Postel 告別式
  • 1998年11月6日:ICANNが定款修正案(第6案)発表、商務省へも通知

    http://www.iana.org/icann/contents-pr06nov98.html
    http://www.iana.org/icann/letter-pr06nov98.html

  • 1998年11月9日:Boston Working Groupから商務省への手紙

    http://cyber.law.harvard.edu/icann/bwgltr.html

  • 1998年11月10日:商務省発表(11月6日の返事)

    http://www.ntia.doc.gov/ntiahome/press/icann111098.htm

  • 1998年11月14日:ICANNの公聴会開催

    http://cyber.harvard.edu/icann/

  • 1998年11月23日:ICANN定款変更

    http://www.icann.org/contents-pr23nov98.html

  • 1998年11月25日:ICANNと米国政府の覚書締結

    http://www.ntia.doc.gov/ntiahome/domainname/icann-memorandum.htm

     10月2日のPostelから商務長官に宛てた手紙の返事は、Postel没後の20日にISIのディレクターHerb Schorr宛に出されますが、その後の米国政府との折衝を含めた諸作業はPostelの10月2日の手紙で推薦されたICANN理事たちの手によって行なわれました。11月14日の公聴会ではこのようなICANN理事の決定手順そのものに抗議する人もいましたが、概ねICANNに協力して行こうという雰囲気でした。ICANNの現理事は今後約1年をかけて組織の基礎作りに従事することになります。インターネットの長期的な発展のために彼らがどのような仕事をするか、大いに注目されるところです。

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