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JPNICはインターネットの円滑な運営を支えるための組織です
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ニュースレターNo.49/2011年11月発行

インターネット歴史の一幕 特別企画
JNIC設立から20周年

2011年12月1日にJPNICの前身であるJNIC(Japan Network Information Center)設立から20年を迎えます。本特集では、このJNIC設立20周年を迎えるにあたり、これまでの歴史を振り返るとともに、今後に向けたメッセージをみなさまにお届けしたいと思います。

現在は日本国内におけるIPアドレスのレジストリ業務を中心に行っているJPNICの歴史は、任意団体だった時代を経て、その前身となるJNICにまで遡ることができます。

1970~80年代にかけて、インターネットの原型となったARPANET(Advanced Research Projects Agency Network)が米国で発展し、それに刺激される形でCSNET(Computer Science Network)やHEPnet(High-Energy Physics Network)、BITNET(Because It's Time Network)などの研究ネットワークが誕生、相互接続され、ネットワークが形作られていきました。日本においても、一部研究機関や大学などがそれらのネットワークへの接続を試みるかたわら、1984年10月に東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学の3大学を電話回線で接続するJUNET(Japan University/UNIX Network)が、実験ネットワークとしてスタートしました。JUNETでは1989年にトップレベルドメイン名を.JUNETから.JPに移行し、結果としてJUNETの名前管理をしていたボランタリーなグループであるjunetadminがJPドメイン名の管理を引き継ぎました。その一方、日本においてもWIDE(Widely Integrated Distributed Environment)、東京大学国際理学ネットワーク(TISN;Todai International Science Network)、JAIN(Japan Academic Inter-university Network)などの研究ネットワークが誕生し、それらの研究ネットワークへの接続に際し必要となるIPアドレスの割り当てを行う団体として、ネットワークアドレス調整委員会が1989年に設立されました。この委員会も、大学教官等によるボランタリーなグループによって運営されていました。

ドメイン名やIPアドレスはネットワーク間において共通に管理されるべき重要な資源であり、それらの管理を専門に行い、かつボランタリーではなく業務として運用する組織の必要性が各研究ネットワークにおける共通認識となり、そのための組織として、1991年12月1日にJNICが設立されました。

JNICは、当時存在していた各研究ネットワークや学会の代表から構成される、研究ネットワーク連合委員会(JCRN;Japan Committee for Research Networks)を母体とし、各ネットワーク団体の協力の下に発足しました。発足と同時に、JNICはjunet-adminからJPドメイン名の登録管理業務を引き継ぎます。また、それからおよそ半年後の1992年6月8日には、IPアドレスの割り当て管理業務についても、ネットワークアドレス調整委員会から引き継ぐことになります。そして、JNICはWIDEやJAIN、TISN、日本BITNET協会(BITNETJP; “Because It's Time” Network in JaPan)などといった、当時IP接続に力を入れていた組織に所属する人々の協力を受けながら、IPアドレスやドメイン名といった資源管理業務を行っていきます。その後、JNICは設立から1年ほど経過した後、1993年4月9日に任意団体日本ネットワークインフォメーションセンター(JPNIC; Japan Network Information Center)へと改組されました。さらに1997年3月31日には、任意団体としてのJPNICを母体として社団法人JPNICを設立し、現在に至ります。

組織形態以外にも、インターネットの発展とともに、それに比例して業務の内容も変化していき、事務局も次々とその所在地を移すことになりました。設立当初、東京大学大型計算機センター内の一角の小さなスペースで業務を開始したJNICですが、任意団体JPNIC時代の1995年12月15日に東京の神田駿河台にある萬水ビルへと移転します。このオフィスは、100平方メートル強の広さで、職員10名が業務を行えるスペースと全員が入れる会議室があり、四つほどの机と打ち合わせ用のテーブルがあっただけの従来のJNIC事務局から比べると、かなり広々としたものでした。それでもすぐに手狭になり、それからわずか2年ほど後の1998年2月6日には、より広いオフィスを求めて、すぐ側の神田小川町にある風雲堂ビルへと移転することになります。その風雲堂ビルでも、最初は1フロアだけだったオフィスが最終的には3フロアまで拡大することになりました。その後、JPNICは2000年12月26日に株式会社日本レジストリサービス(JPRS)を設立し、2002年4月1日をもってJPドメイン名の登録管理業務を移管しました。このようにJPRSと業態を分けたことにより、風雲堂ビルに残るJPRSに対して、JPNIC事務局は2001年9月22日に内神田の国際興業神田ビルへと移転し、現在に至ります。

JNIC設立から数えて20年、ドメイン名登録管理業務の移管や、IPv4アドレスの在庫枯渇など、さまざまな出来事がありました。次のページからは、JNIC初代センター長から始まり2005年6月17日までJPNIC理事長を務めた村井純と、それを引き継いだ現理事長である後藤滋樹からみなさまへのメッセージをお届けするとともに、年表と写真でこの20年を振り返ってみたいと思います。

インターネットの土台

写真:JPNIC 理事長 後藤 滋樹
JPNIC 理事長
後藤 滋樹

日本でインターネットが広く普及し始めたのは1994年のことでした。一例を挙げると、1993年秋に日本のWeb サーバは4台だけでした。JPNICの前身となるJNICが発足したのは1991年のことです。JNICは、当時の日本のインターネットの関係者を結集しただけではなく、インターネットの利用者としての学会がJNICの応援団として控えていました。それがJCRN(研究ネットワーク連合委員会)です。

このようにJNICは、当時としてはオール・ジャパンの体制でした。その後インターネットの利用が順調に進展しました。今日ではインターネットに関連する活動が広範にわたっています。その全部をJPNICがカバーしている訳ではありません。インターネットに関連する団体も多数が設立されました。

ただし、JNICの時代から今日のJPNICに至るまで、資源管理に関しては一貫してJPNIC(および株式会社日本レジストリサービス(JPRS))が担当しています。いかなる派手なアプリケーションでも、IPアドレス、ドメイン名、AS番号の舞台の上で踊っているに過ぎません。現在のインターネットは、人間社会の重要なインフラストラクチャとして認知されています。そのインフラ基盤のもう一段下の縁の下で、JPNICとJPRSが支えているという構図です。

情報通信の進展とともに世界がフラット化するという主張があります。私の主張は逆です。情報通信は分業を促進します。情報は世界に拡散しますが、実際に仕事をするのは少数の専門家だけです。少人数でも仕事を完遂できるのが情報通信の効用です。JPNICの名前は教科書に載るくらいに有名ですが、その実務を遂行している人数は少ないものです。私自身も実務を分担しているわけではありません。

JNIC設立20周年を迎えた機会に回顧しますと、これまでにJPNICを理解し応援してくれた多数の方々に改めて感謝の気持ちを抱きます。それとともに、将来においてもJPNICを応援し、期待してくれる人々がいるはずだという確信も湧いてきます。現在のJPNICは、それ自身がオール・ジャパンではないとしても、どのような分野にもJPNICの理解者がいます。これは大変にありがたいことです。引き続きご理解とご支援をお願い致します。

30年を経て

JPNIC 理事長 村井 純
JPNIC 理事
村井 純

2011年9月18日、APECに参加するためにサンフランシスコ中心部を訪れました。会議のテーマはイノベーションとグローバル経済といったものでしたが、私の役割は、もちろん、というか、相変わらず、インターネットとイノベーション、インターネットとグローバル社会ということになります。特に今回は、そのグローバル環境への日本からの貢献を、震災の経験を交えてお話ししました。

会議の前夜に、仲間のいるMt.Viewに夕食に行きました。南サンフランシスコからPalo Alsoを経由してのMt.View への道のりはすべて懐かしく、この一帯とUNIXを開発していたU.C.Berkeleyには、UNIXとインターネットの多くの歴史があります。私も80年代初頭から、この辺りを訪れて活動していました。

ハイウェイ101の出口のひとつWillow Rdは、私が最初のインターネットリソースのデリゲーションを受けるための議論をする目的で、何度も何度も通っていた道です。

米国以外の国や地域が正しく参加するためには、コンピュータ上の言語や利用の文化の多様性を組み込んだ仕組みを作らなければならない、という主張を続けていた時でした。英語と米国しかほとんど考えていないような標準化と仕組みがあったのですが、これは、USセントリックというより、単に中心人物が多くいた米国の当時としての当たり前の状態だったと思います。RFCは、Jon Postel達が苦労した、ユニバーサルに読解可能なドキュメントで、SRI(Stanford Research Institute)はその発行の本拠地でした。しかし、私の主張は、これからインターネットが広がるためには、地域ごとの言語や制度に根付いたサービス体系を確立しないとだめだということでした。SRIのFrank Kuo、彼はEthernetの原理の元となったAlohaのリーダだった方ですが、そこにもちろんJon PostelやJoyce Reynolds達も加えて、度重なる議論を繰り返した結論は、「ヨーロッパからも同様の声が上がってきているので、試しに日本でやってみろ」ということでした。したがって、私の持ち帰った若干のクラスA、B、Cそれぞれと.jpのデリゲーションは、いわゆる“パイロットプロジェクト”だったのです。

「地域で根付くサービスが提供されること」「それがグローバルに共通な空間を形成すること」「うまくいったら、他に展開すること」などがこの時の使命でした。JPNICがAPNICを生み出し、結果として、RIRを形成したことを含めて、これらの使命を果たしてきたのがJPNICでした。JPは国を意味します。この時、Jon Postelとは、展開の拠点としての文化や言語の多様性の重要性を認識した上で、真に公平で国や地域に依存しないインターネットの空間に関して何度も議論しました。Frank Kuoからは、「いつの日にか(彼のルーツの)中国がここに参加する日が来ると思う。その時はお前が手伝うんだぞ」と何度も命じられました。こうした先駆者の理念は、JPNICとそれを取り巻くコミュニティによって発展的に実現されてきたと思っています。そしてJPNICには、今後もこの理念を忘れず、新たな課題にも取り組み、それを新しい仲間たちと解決する拠点となっていって欲しいと期待しています。

写真:東京大学大型計算機センター
東京大学大型計算機センター(1991年12月~1995年12月)
写真:萬水ビル
萬水ビル(1995年12月~1998年2月)
写真:風雲堂ビル
風雲堂ビル(1998年2月~2001年9月)
写真:国際興業神田ビル
国際興業神田ビル(2001年9月~現在)
1991
12.1 JNIC設立(事務局:東京大学大型計算機センター内)
12.1 「日本ドメイン名の割り当てについて」施行
1992
6.8 JNIC、ネットワークアドレス調整委員会からIPアドレスの割り当てと管理を引き継ぐ
1993
4.9 プロバイダによる会員制組織、任意団体JPNICに改組
5.29 第1回運営委員会開催
9.1 APNICパイロットプロジェクト開始
11.1 JPNIC会員ネットワークによるIPアドレスの割り当てに関するパイロットプロジェクト開始
12.1 地域型ドメイン名実験プロジェクト開始
12.16 JPNICがブロック割り当てを行っているIPアドレスの逆引きネームサーバをInterNICから委譲される
1994
4.15 会報誌「JPNIC News letter」創刊
写真:JPNICニュースレター創刊号
1994年に会報誌「JPNIC News letter」を創刊しました
7.2 JPNIC Webによる情報提供開始
1995
6.1 IPアドレス・JPドメイン名申請手数料制実施
7.1 プロバイダ経由のIPアドレス割り当てへの課金制を開始
9.1 Class Cより小さなIPアドレス割り当て(サブアロケーション)に関するパイロットプロジェクト開始
12.15 神田駿河台(萬水ビル)へ事務局移転
1996
4.1 地域型ドメイン名本格運用開始
7.31 JPドメイン名の登録数1万件突破
11.6 ネットワークサービス提供者向けに、NEドメイン名新設
12.1 ドメイン名第3レベル一意性ルールの解除
12.1 数字で始まるドメイン名の割り当て開始
1997
3.31 社団法人の設立許可下りる
写真:社団法人化記念式典
1997年、関係者の苦労の末、社団法人化が実現しました
8.7 JEPG/IPからAS番号の割り当て業務を引き継ぎ、JPNICでの割り当てを開始
11.7 講演会「インターネットドメイン名システムの新しい展開」開催
12.1 法人格を有しない団体に対して、GRドメイン名新設
12.16-19 第1回Internet Week開催
1998
2002.6.8 神田小川町(風雲堂ビル)へ事務局移転
3.1 「ドメイン名登録等に関する規則」施行
1999
2.1 教育機関向けに、EDドメイン名新設
4.3 JPNICが国際化ドメイン名に本格的に取り組み始める
5.26 JPNICがIPv6に取り組むことを正式に表明
9.28 JPドメイン名の登録数10万件突破
12.14-18 Internet Week、JPNICが主催へ
写真:Internet Week会場外観
1999年には、初めてInternet Weekを主催しました
2000
1.2 APNICへIPv6 Sub-TLA申請取り次ぎサービスを開始
7.13 多言語ドメイン名評価キット(mDNkit)ベータ版配布開始
7.13-17 ICANN横浜会合を主催
7.18-21 INET2000が、JPNICが主な後援者となって開催される
写真:INET2000ブース
2000年には大規模な国際会議INET2000の後援をしました
8.22 ドメイン名紛争処理機関として工業所有権仲裁センター(現日本知的財産仲裁センター)と協定締結
10.19 JPドメイン名紛争処理方針(JP-DRP)施行
12.26 株式会社日本レジストリサービス(JPRS)設立
2001
2.22 汎用JPドメイン名登録開始
4.1 新会員制度導入
4.1 IPアドレス管理指定事業者制度導入
7.25 運営委員会を改組した評議委員会の1回目を開催
9.14 メールマガジン「JPNIC News & Views」創刊
9.22-24 内神田(国際興業神田ビル)へ事務局移転
10.23 第1回ICANN報告会開催
12.6 第1回JPNICオープンポリシーミーティング開催
写真:JNIC設立10周年パーティー
JNIC設立10周年パーティー
2002
2.27 JPRSがICANNと「.jp ccTLDスポンサ契約」締結
4.1 JPRSへJPドメイン名の登録管理業務移管
画面:JPRSへのJPドメイン名登録管理業務移管時のお知らせ
2002年のJPRSへのJPドメイン名登録管理業務移管時のお知らせ
4.1 セキュリティ事業開始
6.3 JPNICが平成14年度情報通信月間総務大臣表彰を受賞
7.1 日本の関係者の積極関与で改訂された新IPv6アドレスポリシー施行
8.23 JPIRR試験運用開始
9.3-6 第14回APNIC Open Policy Meeting(北九州)のローカルホストを務める
10.18 JPNIC会員ロゴマーク制定
2003
4.23 第1回IPアドレス管理指定事業者個別相談会開催
5.23 ENUM研究グループ(事務局JPNIC)報告書完成
7.7 第1回JPNIC・JPCERT/CCセキュリティセミナー2003開催
9.17 ENUMトライアルジャパン設立(共同事務局JPNIC/JPRS)
2004
3.19 特殊用途用プロバイダ非依存アドレス割り当てサービス開始
7.1 JPドメイン名レジストリデータエスクローが3者体制に移行
8.18 IPアドレス料金体系改定施行
8.2 インターネットガバナンスタクスフォース(IGTF-J)設立
11.15 新IPレジストリシステム運用開始
12.1 「VoIP/SIP 相互接続検証タスクフォース」を設立(共同事務局 JPNIC/MRI)
2005
2.18-25 APRICOT 2005を京都で開催、JPNICはローカルホストの一つとして協力
3.22 WHOISシステム分離に伴うサービス変更開始
5.16 IPv6アドレス申請サービス拡張
6.17 JPNIC理事長交代:村井純から後藤滋樹へ
写真:交代した理事長
2005年6月、それまでJPNICの理事長を務めた村井純より、2代目となる後藤滋樹に理事長が交代しました
8.5 JPNIC初代理事長、村井純が2005年度ポステルアワードを受賞
9.1 JPNIC資源管理認証局(電子証明書)をIPアドレス申請業務で利用する認証強化実験を開始
2006
1.25 「日本ENUMトライアル」用番号登録を開始
4.3 報告書「IPv4アドレス枯渇に向けた提言」を発表
4.17-21 SIPit18を日本で初開催。JPNICはホストとして参画
8.1 JPIRRサービスの正式サービス化
12.5.8 Internet Week 10周年
写真:「日本語ドメイン名」出版記念懇親会
2006年には日本語ドメイン名協会の活動の集大成として、「日本語ドメイン名」が出版されました
2007
3.7 4バイトAS番号割り当て開始
3.26 Webサービス、WHOISサービスがIPv6対応に
6.15 IPv4アドレスの在庫枯渇状況について姿勢表明発表
12.7 「IPv4アドレス在庫枯渇問題に関する検討報告書(第一次)」を公開
写真:IPv4アドレス在庫枯渇問題第一次検討報告書
IPv4アドレス在庫枯渇問題に取り組み、2007年に第一次検討報告書を取りまとめました
2008
1.8 IPv6 PIアドレスの割り当て開始
3.4 JPドメイン名の累計登録数が100万件を突破
5.21 「経路ハイジャック情報通知実験」開始
10.28 IPアドレス・AS番号の申請WebシステムがIPv6対応に
2009
3.11 使用されていない歴史的PIアドレスの回収が終了
5.18-22 SIPit24を開催(東京で2度目)。ホストはJPNICとNICT
写真:SIPit24会場の様子
2009年に独立行政法人情報通信研究機構(NICT)との共催により、開催したSIPit24の会場の様子
9.25 日本インターネットドメイン名協議会へ理事団体として参画
2010
3.23 AS番号割り当て先組織明確化完了
4.19 電子証明書を用いたIP指定事業者認証の正式開始
2011
2.3 IANAにおけるIPv4アドレスの在庫が枯渇
写真:IPv4アドレスのIANA在庫枯渇イベント
2011年2月3日、ついにIPv4アドレスのIANA在庫が枯渇しました
4.15 APNICにおけるIPv4アドレスの在庫が枯渇。JPNICも通常割り振りを終了
12.1 JNIC設立から20周年

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