ニュースレターNo.91/2025年11月発行
JPNIC会員と語る
「JPNIC会員と語る」は、 JPNIC会員の興味深い事業内容・サービス・人物などを紹介しつつ、 JPNICの取り組みや業界が抱える課題や展望などについて、 お話を伺うコーナーです。
今回は、1984年2月に設立され、 今年で42年目を迎えた株式会社ASJを取材しました。 同社は、もともとファクトリーオートメーション(FA)関連の企業としてスタートし、 その後ソフトウェア開発を経て、 1996年4月という早い時期にレンタルサーバ事業に参入しました。 以来、自社運営のサーバセンターを基盤に、 時代の変化に合わせてさまざまなサービスを展開しています。
同社のサービスの根底には、 「他社がためらうような分野でも挑戦を恐れない」姿勢があります。 今回の取材では、 ASJが積み重ねてきた挑戦の軌跡と同社が掲げるミッション・ビジョンを感じさせる多くのエピソードを伺いましたが、 インターネットのもたらす無限の可能性を信じて「日本のために活躍する企業」を目指す姿が大変印象的でした。
~クラウドと現場の力で支えるASJの挑戦~
株式会社ASJ https://www.asj.ad.jp/
| 住所 | 〒332-0017 埼玉県川口市栄町3-2-16 |
| 創立 | 1984年2月15日 |
| 資本金 | 13億7,553万8954円 |
| 代表取締役会長 | 丸山 治昭 |
| 代表取締役社長 | 青木 邦哲 |
| 従業員数 | 147名(2025年3月時点) |
| 事業内容 |
https://www.asj.ad.jp/aboutus/service.html
▶ クラウドインテグレーションサービス
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最先端を走る米国で掴んだ「次の時代」の手応え
▶ ASJの創業の経緯と沿革についてお聞かせください。
青木:当社の設立は1984年2月。 レンタルサーバ事業を始める10年以上も前のことです。 創業者で現会長の丸山治昭氏は、 もともとファクトリーオートメーション(FA)の分野に強い関心を持っており、 FA関連の仕事の依頼を受けたことをきっかけに株式会社アドミラルシステム(2009年12月に現在の株式会社ASJに商号変更)を設立しました。 つまり、「事業のために会社をつくった」というよりも、 「仕事が先にあり、 それに応えるために会社を立ち上げた」という流れです。
その後、FAの分野からソフトウェア開発へと発展していく中で、 米Microsoft社の台頭を目の当たりにしました。 「これは現地で直接見て研究すべきだ」と考え、 私たちは渡米しましたが、 そこで出会ったのはすでにインターネット時代に突入している米国でした。 Microsoft社の勢い以上にインターネットの広がりを強く感じ、 「このままでは日本は遅れてしまう」と大変な危機感を抱いたのです。
そこで、私たちはオレゴン州にASUSA Corporationを設立し、 Microsoft社とインターネットの動向について現地での調査を開始しました。 当社は当時、今後の方向性として「ISP事業」と「レンタルサーバ事業」という二つの選択肢を検討していましたが、 米国ではすでに大手通信企業がISP市場を支配していました。 それを見た私たちは日本でも同じことが起こると考え、 ISPではなくレンタルサーバ事業を選ぶことにしました。 1996年4月にサービスを開始しましたが、 当時は日本の通信費が非常に高かったため、 サーバを米国に置き、 海外回線を使ってコストを抑える工夫をしました。
現地で情報を収集し、自分たちの目で時代を見極めたからこそ、 こうした選択ができたのだと思います。 この経験を通じて自社サーバを運用するようになり、 これがその後の事業展開の基盤になりました。
サーバセンターを自前で運営し、 その上で自社開発のプログラムを提供する。 これがASJの基本であり、 時代に応じてサーバに乗せるサービスは変化してきていますが、 サービス開始当初からクラウドを利用するようになった現在でも変わっていません。
自社運用ゆえに外部コストが抑えられ、 柔軟に改良できるのが強みです。 自社での構築や開発が必要となる分、 外部から調達するのと比較してスピード面での課題はありますが、 お客様にとっては「コストを抑えながら安定して使える」という安心感につながっていると思います。
銀行からIT業界へ「未来の情報」に賭けた転身
▶ 青木社長は前職が銀行員だったそうですね。 この業界に転職されたきっかけは何だったのでしょうか。
青木:はい。 以前は銀行に勤めており、 入社2年目にASJ(当時はアドミラルシステム)を担当したのが最初のご縁です。
ASJはインターネット分野に早くから取り組み、 とても勢いのある会社でした。 その姿を見て「これからはインターネットだ」と感じ、 会長の丸山氏に誘われて入社を決意しました。 そして入社後は銀行員としての経験を活かして上場に関する業務に取り組み、 2003年に当社はマザーズ市場(現グロース市場)に上場しました。
銀行を辞めた理由は、 銀行は悪くはないけれども新しいことを始めるという意味ではあまり向いておらず、 新しい産業で挑戦をしてみたいと思ったからです。 小さくても挑戦できる会社に入りたいと考え、 この会社を選びました。 IT業界は私にとっては未知の分野でしたが、 銀行で多くの業界を見てきた経験が生きました。 IT業界は過去ではなくこれからの分野で、 そこで働く人に求められるのは過去の情報ではなくこれからの「未来の情報」で、 「未来の情報」は誰もがゼロから取りに行けるものです。 そこにこそ、チャンスがあると信じています。
医療分野にも広がるクラウドインテグレーション
▶ 現在の主な事業について教えてください。
青木:当社グループの事業は、 クラウドインテグレーションサービスとECサービスの二本柱です。 これらを支えるのが、自社運営のサーバセンターです。
クラウドインテグレーションサービスでは、 人事・給与システムなど企業向けのクラウドサービスを展開しています。 近年では、 病院をはじめとする医療機関からの案件が多数寄せられています。 医療分野は、予算の制約や公明・公平性を重んじる性格上、 導入プロセスも複雑で慎重を要します。 しかし当社では、現場の声を丁寧に聞き取り、 課題を一つずつ解決する姿勢を大切にしています。 病院特有の業務に即したシステム構築に取り組み、 信頼と実績を積み重ねています。
ECサービスは、単に販売システムを提供するだけでなく、 自社で倉庫を持ち、 仕入れから販売までを一貫して行っています。 扱うのは雑貨や化粧品などで、 ネット販売の仕組みを理解するため「自分たちでやってみる」ことから始めました。 M&Aをきっかけに楽天市場へ参入しましたが、 月1,000万円売らないと赤字という厳しい世界です。 それでも挑戦を続け、次にAmazonにも参入しました。 「仕入れで勝てないから無理」と言われましたが、 試しに商品を登録したところ思いがけず売れました(笑)。 楽天とAmazonでは売れる時期や商品が異なり、 価格競争だけではない戦い方があると気付きました。 続けるうちに売れる理由も見えてきて、 4年目には事業として軌道に乗りました。 「まずはやってみること」が何より大事だと実感しています。
これらのサービスを支える共通基盤であるサーバセンターに関しては、 従来の関東のものに加えて、 2024年10月にリスク分散のために「姫路ラボ&サーバセンター」を新設しました。 姫路を選んだのは地盤の強固さと、あとは水害の少なさです。 関東のバックアップというと大阪が選ばれることが多いですが、 姫路の方がより安全だと判断しました。 関東のバックアップ拠点として整備し、 今後はお客様の所在地に応じて柔軟に利用できる体制を整えていきます。
サーバの安定性とセキュリティには力を入れており、 さまざまな工夫を実施しています。 あるお客様がランサムウェア被害に遭われた際も、 当社のシステムだけが無事でした。 こうした実績が信頼につながっていると思います。
失敗を恐れず挑む「やって後悔しない」精神
▶ 商工会議所向け検定試験管理システムというのは聞き慣れないサービスですが、どのような経緯で始められたのでしょうか。
青木:商工会議所向け検定試験管理システムのサービスを始めたのは、 ある商工会議所の方から、 「受検者が多くExcelでは管理できない。 システム化できないか」と相談を受けたのがきっかけです。 しかし、商工会議所の予算が限られており、 社内からも反対の声がありました。 それでも私は、 銀行員時代に取得した資格の中で最も役に立ったのが日商簿記だったことを思い出し、 「日本のためになる資格」のためにどうにかして恩返しができないかといろいろ考えました。
そこで、 商工会議所からではなく受検者から少額をいただく仕組みを考え、 営業を重ねて全国に広げていきました。 実は商工会議所はそれぞれが独立した組織で、 一つの商工会議所と契約できればそれで終わりというわけではありません。 最初は苦労しましたが、 大都市である名古屋商工会議所との契約をきっかけに流れが変わり、 神戸・仙台と広がっていきました。 今では全国260ヶ所以上の商工会議所に導入されています。
この取り組みでそれぞれの商工会議所経由で全国の情報が自然と集まるようになり、 埼玉の企業でありながら各地域の状況をつかめるようになりました。 まさに「自ら歩いて開いた道」であり、 これからも息の長い事業になると感じています。
▶ そこから貸会議室予約システムなど他のサービスにも広がったのでしょうか。
青木:はい。 会議室を持っている商工会議所が多く、 そこから貸会議室予約システムが生まれました。 検定試験管理、貸会議室予約、 どれもニッチな分野ですが、 誰もやらないところにこそチャンスがあります。
私は「やらずに後悔するより、 やって後悔した方がいい」と思っています。 商工会議所とは「お互いに協力しよう」という気持ちで始まった関係なので、 失敗を恐れず新しいことに挑戦しました。
社員とともに育つ組織、AIが支える新しい学び
▶ これらのサービスを支える社員の皆様について教えてください。
青木:グループ全体の社員の半分近くがエンジニアです。 年齢層は幅広いですが、40~50代のベテランが多く、 頼もしいメンバーばかりです。 一方で、次の世代を育てることが課題です。 個々の力量が高いゆえに1人1人の役割が大きく、 自分の裁量で動けるのが当社の特徴ではあるのですが、 これまでのように個人の裁量に任せるだけでなく、 チームで成果を出す組織にしていきたいと思っています。
▶ 働きやすい環境作りにも力を入れられているそうですね。
青木:はい。 社員には長く安心して働いてほしいと考えています。 当社では基本的に残業はなく、必要な場合は許可制です。 「自分の時間を大切にできる職場」であることは、 社員にとっても会社にとってもプラスになります。 これまで教育面の負担を考えて第二新卒中心に採用していましたが、 AIの進化で教育期間が短縮されつつあります。 そのため、 今後は新卒採用やインターンシップにも力を入れていく方針です。
▶ AIの進化が社員教育にどのように影響を与えているのでしょうか。
青木:若い社員にはどんどん勉強してほしいと思っています。 しかし「会社がお金を出すから学びなさい」と言っても、 就職した後に改めて勉強をするというのは誰にとっても大変なもので、 実際にはなかなか動いてくれません。 経営者としてはみんなに勉強をしてもらいたいわけですが、 どうやらお金の問題ではないらしいと気付きました。
そこで、AIを使って学ぶ仕組みを社内に取り入れました。 社員全員がAIを活用し、 週1回のミーティングで成果を共有します。 私が報告書を読んで「これは良い」と思ったものをその社員に発表してもらいます。 最初はエンジニアが高度な使い方をしていましたが、 次第に「誰もが使えるAI活用法」を共有する方向へ進んできています。 こうして得た知見は、 まとめた上で新入社員の教育にも活かすようにしています。 どうやって社員に学んでもらうか苦労していたわけですが、 AIを活用することでそれを通じて社員が自然に学び合う会社になってきました。
夢は日本のために活躍できる企業になること。
▶ 貴社には会員として長らくJPNICを支えていただいています。 JPNICの活動に対するご意見や今後の期待を教えてください。
青木:日本のIPアドレスの登録管理を行うNIR (National Internet Registry)であるJPNICは、 日本のインターネット基盤を支える重要な立場にあります。 それだけに慎重に動いていく必要があります。 外部の意見を柔軟に取り入れる姿勢も大切ですが、 それと同時に悪意のある動きに対する意識も欠かせません。 海外ではAFRINIC (African Network Information Centre)やAPNIC (Asia Pacific Network Information Centre)などで、 乗っ取りや不正アクセスが問題になった事例もあります。 JPNICが乗っ取られてしまうと、 日本のインターネットが乗っ取られてしまいます。 開かれた組織である一方、 守るべきところは守るという上手なバランス感覚が必要です。
また、総会やInternet Weekなどもありますが、 せっかく多様な企業や団体が参加しているので、 会員同士の交流機会をもう少し増やせると良いですね。 フォーラム形式よりも、 ハンズオンのように実践的なテーマに交流を組み合わせる形が自然だと思います。 学びがあり、他社とのつながりができる場は、 企業にとっても参加しやすいでしょう。 交流を続けていくためには、機会を作るだけではなく、 参加する側にとって興味を持てるものであることが大事です。
JPNIC技術セミナーなどでもハンズオンがありますが、 少人数で行われることが多いですよね。 細かいケアを受けられて良い面もありますが、 少人数形式ということで参加に躊躇する人もいるのではないでしょうか。 参加人数を多くするなどして、 もう少し多くの人が気軽に入れる形のものもあってもいいかもしれません。
さらに、セキュリティ情報の迅速な共有にも期待しています。 もちろん今もJPNICからセキュリティに関する情報は出ていますが、 整理された情報だけではなく、 いま現場で起きていることを知る機会があると、 会員の危機意識向上にもつながります。
▶ 本日はいろいろとお話しいただきまして、 ありがとうございました。 最後に、青木社長にとって「インターネット」とは?
青木:私にとってインターネットとは、 「限りない可能性」です。
この業界に関わり始めたときから、 ずっとそう感じていて今も変わりません。 インターネットは、誰にでもチャンスを与えてくれる場所です。 特別な才能がなくても、努力次第で大きな成果を出せる。 これほど多くの人が自由に挑戦できる場は他にありません。 私には一つの夢があります。
それは、日本のために働き、 日本のために活躍できる企業になること。 12人で始まった会社は、今では170人規模になりました。 けれど、まだ「夢の途中」です。 これからも挑戦を続け、 日本を代表する企業を目指していきます。

