ニュースレターNo.92/2026年3月発行
人の縁とは不思議なもので
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
砂原 秀樹
2024年にJUNETが40年を迎え、 2026年はWIDE Projectの準備が始まって40年という年にあたる。 今やインターネットは当たり前の存在であり、 社会の基盤となっている。 下手をすると「インターネットなんて使ったことはありません。 スマホなら使っていますけど」などというコメントを若い世代から貰ったこともあるくらい、 空気のような存在になったのであると言えるであろう。 このようなインターネット、 どのような形で始まり進んできたのであろうか? そんなことを振り返ってみたいと思う。
The Internetの祖であるARPANETは、 米国国防総省(DoD)高等研究計画局(ARPA)の予算を獲得して1966年にスタートした研究開発プロジェクトであるが、 日本での始まりは少し違う。 1980年頃に慶應義塾大学理工学部内でキャンパスネットワークS&Tnetの研究開発が進んでいたが、 1984年8月にその中核に居た村井が慶應から東京工業大学(現東京科学大学)に就職したことからスタートする。 慶應の理工学部矢上キャンパスと東京工業大学の大岡山キャンパスは電車で20分程度(今は乗り換え無しで行けるが、 当時は田園調布で乗り換えが必要だった)。 遠いわけでは無いが、頻繁に行くにはちょっと大変なところである。 こうした中でデータやプログラムのやり取りなどをスムーズに行うために、 UNIXオペレーティングシステムに用意されていたUUCP(Unix-to-Unix CoPy)の機能を使って二つのキャンパスを繋いだのが1984年9月である。 しかし、慶應や東工大がやっているだけでは日本全国に拡がることにはならない。 「東京大学が加わることで、 研究であると認められ多くの組織が繋がるきっかけになるから、 東京大学を繋ぐといい」というアドバイスを石田晴久先生にいただき、 東京大学を接続したのが1984年10月であった。 そんな説明を僕ら若いはねっかえり連中にすると反発するので、 村井は「石田先生が、 2組織が繋がってもネットワークとは呼べなくて、 3組織以上が繋がって初めてネットワークと呼べるので東京大学を繋ぎなさいって言うから、 東大を繋ぐ」と僕らには説明していた。 NTTの民営化を翌年4月に控えたこの時期にこうした活動を始めた僕らを守るための石田先生と村井の策であったことは後に知ることとなる。 JUNETは人との繋がりをきっかけとして始まったのである。 この後も、 組織を増やしていくきっかけは「あそこに○○が居るから繋ごう」という人との繋がりを理由に展開していった。 そして、 その質を向上させるための取り組みがWIDE Projectだったのである。
このように、日本におけるインターネットの展開は、 人と人の繋がりがその推進力となっている。 これは他のエリアでのインターネットの拡がりとは少し違っているのではないかと思っている。 しかし、だからこそ人を中心に据えたサービスの展開や研究が日本では進んでいるのだろう。 僕自身は今Cybernetic Avatarと呼ばれる遠隔操作ロボットに関する研究に加わっている。 これは人を中心に据え、 人がネットワークとロボットを介して時空や身体の限界を超えて活動できるための基盤を作るというものである。 ここに関わる人は健常者だけでなく、 例えばALSといった難病に罹患しこれまでは社会に参加することが困難であったような人々も含まれており、 こうしたすべての人々が社会に参画し活動できるようにすることを目指している。 当然、セキュリティといった問題も解かなければならなく、 ネットワークやロボットを介した活動が、 正しく自分の思った通りであると保証することが必要となってくる。 また、ロボットという物理空間で機能するデバイスも含まれることから、 サイバー空間と物理空間の両方を統合した一つの空間として扱い、 そこでのセキュリティやトラストの技術の開発を進めなければならない。 そして、それをについて評価を行うのも人とその人が所属する社会なのである。
私自身、2026年に一つの区切りを迎えるが、 日本で進められてきたインターネットの展開が、 「人を中心とした」視点に基づいて発展してきたことを忘れず、 次の進化について考えていきたいと心を新たにしているところである。

