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ニュースレターNo.21/2002年7月発行

JPINIC会員と語る●株式会社アドミラルシステム
もっとグローバルに、もっとアグレッシブに

本号から新企画、『JPNIC会員と語る』がスタートします。 2001年度に会員制度も変わり、またJPドメイン名登録管理業務もこの4月に移管され、JPNICが今後どのような方向に進んでいくのか、会員の皆様も大変関心のあるところではないかと思われます。 『JPNIC会員と語る』を通じて、会員の皆様よりJPNICに望むことなどをざっくばらんにお話いただき、今後のJPNICを皆様と一緒に考えていくひとつのきっかけにできればと思います。 第1回目は、株式会社アドミラルシステム代表取締役社長 丸山治昭氏です。

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左より(株)アドミラルシステム丸山社長、JPNIC成田事務局長、 坪理事。

対談者紹介:
株式会社アドミラルシステム代表取締役社長◎丸山 治昭
JPNICドメイン名事業部門担当理事◎坪 俊宏
JPNIC事務局長◎成田 伸一

アドミラルシステムのこれまで

ファクトリーオートメーションからスタート

成田 アドミラルシステムは今年で、創業何年目になられますか?
丸山 19年目です。
成田 1984年のご創業とすると、その頃はインターネットなんて一般的ではなかった時代だったのでは?
丸山 そうです。最初はファクトリーオートメーション(以下:FA)から始めたんです。一番最初にやったのは半導体自動搬送装置でした。その仕事があってうちの会社ができたようなもので。FAのときにはほとんど大手が失敗したものをうちがやるというパターンばかりでしたね。3次元NC旋盤を日本で一番最初に実現したのはうちなんですよ。

ファクトリーオートメーションからソフトウェアへ

成田 それで、FAの次に手がけられたのがインターネットだったのですか?
丸山 いろんなことをやりましたが、FAからまずソフトウェアにいきました。日本語DOS上で英語ソフトを動かす「マジックラン」や日本で初めてのウィルスチェッカーや、DOSの上でどんなソフトでもマウスで扱えるソフトや、プレゼンテーション用のソフトを作ってみたりとか。まあ、そんなことができたのも、当時はFAなんだから、BIOSもOSも自分たちで全部作るのが当り前と考えていたからでしょうね。
そんなことをしている中で、あるソフトの企画・開発・製作までをうちがやって、販売を別会社でやったことがあるんですが、ものすごく売れたソフトだったのに、どこにいってもうちの名前がでていない。これじゃいかんと思い、自分達で営業も始めました。NECのPC98向けに最初に売りだしたのは、ニュートンシリーズ、要はファイラーですね。これも結構売れました。そのあとWindowsのアンインストーラーの WinAdvisorというのを出したんですけど、これをやっているときにWindows 95が出ました。α版を最初に手にしたのが、確か'94年4月だったと記憶しています。
 Windows 95が出たことで、貴社のビジネスに大きな影響がありましたか?
丸山 ありました。Windows 95が発売される1年前の'94年の10月のコムデックスにうちは出展してるんですよ。トップアドバイザーという名前でWindows 95ネイティブ対応ソフトとして出展しました。そして、その時ネイティブ対応ということでマイクロソフトからOKをもらったのは、世界では30社、日本ではうちだけでした。その後Windows 95日本発売の1ヶ月前にWindows 95用のネイティブ対応ソフトのWinAdvisor2を出したところ、雑誌社が取材にきてたくさん記事にしてくれて、そのおかげで広告宣伝費を出さずに売れました。そのころから'98年まで、Windowsのユーティリティーを使って出してました。その道の人には結構有名だったんですよ。

ソフトウェアからインターネットへ

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熱弁を振るう丸山社長。

成田 Windows 95が出た頃に、インターネットはかなり普及し始めていたと思いますが……?
丸山 Windows 95絡みのソフト作成が一段落した頃から、第一次のインターネットブームが始まっていたのですが、僕もその頃、遅ればせながら初めてインターネットに触れたんですよ。で、インターネットをビジネスにするにはどうしたらいいかということを調べてみた。あの頃は、ものすごい勢いでプロバイダーが増えていて、これから参入するのは無理だと思った。それで、アメリカではどうなっているかと思い情報収集したら、やはりアメリカではもう淘汰が始まっていた。淘汰されている中で生き残っていたのは、レンタルサーバにドメインという付加価値をつけてドメインサービスをはじめたプロバイダーでした。これならソフトウェアの付加価値がつけていける、きっと勝負ができるのではと考え、'96年の2月、3月でバーチャルドメインのサーバを開発して4月からそのサービスを始めました。今のホスティングサービスは昔はドメインサービスと呼ばれていました。  JPドメインを最初なぜやらなかったかというと、JPNICは大手だけが入会できて、我々のような小さい会社は入会できないと思っていたから。というのは入会の説明はその当時はどこを見ても書かれていなかったんです。でも勇気を奮い起こし、思い切ってJPNICに電話したら意外にも懇切丁寧に教えてくれて。そして、'97年にJPNIC会員となって、JPドメインも扱えるようになった。それから、'98年のソフトウエアの開発が終わった時点で、技術者を全部ホスティングの方に切り替えました。

アドミラルシステムの強み

成田 インターネットのビジネスに参入されてから7年ですが、貴社のビジネス上の特徴を教えてください。
丸山 まず、言えることは、うちは規模は小さいけど、お客さまが毎年今でも純増で増えているんですよ。そのほとんどが紹介でうちのお客さまになっていただいているんです。営業部隊がいませんので、お客さまに対し、きちんとしたパフォーマンスを出してきた結果だと思います。
 貴社のホスティングサービスの特徴について教えてください。
丸山 ホスティングは、ラック貸しとかいろんなことをやっても、回線使用料とかいろいろ考えていくとなかなか黒字にならないんですね。一般的にホスティングは儲からないんです。きちんと経験に裏付けられた自前の運用技術がないと儲かるビジネスにはならないと私は思っているんです。うちはFAの頃から、自前の技術でいろいろとやってきて、そのバックグランドがあるので、それが強みになっていると考えています。  ワールドカップのサポーターのオフィシャルページで「NIPPON12.com」というのがあるんですが、あれはうちが協力しているサイトなんです。ものすごいアクセス数なんですが、これを不自由なく使ってもらえるようにコントロールしなくてはならない。いかにコントロールできるかの知恵ですよ。その知恵を出すのに、技術力が必要なのだと考えています。

JPNICに望むこと

世界で中心的な役割を果たしてほしい

 では、次に、JPNICに望まれることについてお話をお聞かせ下さい。
丸山 まず、申し上げたいことは、JPNIC・JPRSは、もっと考え方を柔らかくするべきだと思います。特に、gTLDとccTLDを区別して考えるのはおかしいと思うんですよ。自分達のアイデンティティとして考える場合やナショナリティからいえば、ccTLDは非常に大事だけど、グローバルビジネススタンダードからいったらこれは一緒のものなんですよね。ですから、JPRSがgTLDを扱っても全然不思議じゃないと思うんですが……。もっともJPNICやJPRSさんもこうしたことは当然考えていて、そちらにいく一歩をまず固めていらっしゃるんでしょうし、ccTLDの方で一歩固めたものとして、その意思表示として汎用JPがでてきたとは思うんですけど。国際社会でネゴシエーションされている問題について、JPNIC・JPRSには、そういう柔らかな考え方をもって、日本の代表者として中心的な役割を果たしていただきたい。世界の中で日本の意見を主張してもらって、グローバルな世界がフェアになり、またそのフェアな仲間入りをすることによって我々のビジネスチャンスはいくらでもできるわけです。そう考えると、会費の何倍も稼がせてもらえるじゃないかと。JPNICは、そういう方向を目指すべきだと考えます。そうなると、会費はお礼ということになると思うんです。そのかわりただのお礼ではなくて、もっと頑張ってねと一言つけてますけど。(笑)

もっとアグレッシブに

丸山 また、JPRSはccTLDだけではなくて、グローバルにgTLDとかを考えてもっとアグレッシブにいってもいいと思います。我々もICANN設立当時にはレジストラになろうと考えたこともあった。なぜやめたかというと、正直いってもうちょっとJPNICが伸びるかと思ったから。JPNICが伸びたらそれについていけば楽だと思った。だからJPRSができて、ビジネスとしてJPドメイン名を広めていくということは、JPNICが1歩も2歩も進んだということだと思う。これをもっと盛り上げていけば、僕の選択肢は間違っていなかったんだと思う。それと我々は今、COMドメインはオーストラリアのメルボルンITと提携しているんですけど、オーストラリア政府が後押ししています。後押しといっても、我々にauドメイン名を売り込んでくる訳ではなく、gTLDなんですよ。そうすると日本のJPRSがgTLDをオーストラリアに、または他の国に売り込んだっていい訳じゃないですか。もっとアグレッシブにやらならないといけないんじゃないかなと僕は思うんですよね。

JPNICの本分は?

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熱心に丸山社長のお話に耳を傾ける成田事務局長、坪理事。

 JPNICは世界の舞台でアグレッシブにということですね。
丸山 仮に将来IPをJPNICでやらなくなったとしましょう。そうなったら、じゃあJPNICは何なのかということになります。そこが本分なんだと思うんですよ。つまり世界の中でのJPNICはどうあるべきか、これをまず第一に考えるべきだと思うんですよ。世界と渡り合うためにJPNICはどうあるべきか、JPRSは世界のレジストラと渡り合っていくためにどうあるべきか、それを真剣に考え、答を出していくことがJPNICにとってやらなければならないことだと思います。  もっともっとJPNICは活動資金を集めるべきです。また、専務理事をつくるべきです。かけもちではなく、そこに集中できる方を僕は作るべきだと思いますね。そうでなければ国際社会の中でやっていけというのは酷な問題です。当然ながら、そのためには豊富な活動資金が必要だと思う。だって、ベリサインの規模を考えてみてください。そんなところとどうやって勝負するんですか。そういうことを考えると、もっと規模を大きくして、そうならないと世界でも通用していかないと思います。  規模を拡大するには組織として組織性をもたせていかなくてはならない。組織性をもたせていくには人材を集めて、そういう方が課長さんに、そして部長さん、常務理事、専務理事になって、理事の方達と一緒になって日本のインターネット戦略を考えていくというのが理想ではないかと思うんです。そして、我々の代表として、日本という背番号をつけて世界の場に出て行き、どんどん発言してきて欲しいと思います。そうすれば、きっとサポーター達が集まってくるんじゃあないですか。インターネットはグローバルなネットワークです。それに係わるJPNICの活動も必然的にグローバルになされるべきですし、私は、それを強く期待しています。

当初予定していた対談時間を大幅に上回り、丸山社長のエネルギッシュなお話に圧倒された2時間でした。

会員企業紹介
会社名:株式会社アドミラルシステム(ASJ)
所在地:〒332-0023 埼玉県川口市飯塚 1-18-8
設 立:1984年2月15日
資本金:2億7,250万円(2002年4月現在)
主な事業:ホスティングサービス、ホットビズ(WEBグループウェア)
URL:http://www.asj.ad.jp/

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