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ニュースレターNo.31/2005年11月発行

インターネット 歴史の一幕:
インターネット黎明期の名脇役 釜江常好先生

JPNIC理事/(株)KDDI研究所 主席研究員◎小西和憲

ドラマは見栄えの良い主役だけでは成り立ちません。主役を引き立てる敵役も必用ですし、主役を支える渋い脇役も必要です。わが国のインターネットの歴史に関して言えば、村井純氏(当時、慶応大学助教授)を主役とし、郵政省とその許認可制度を敵役、釜江常好先生(当時、東大教授、現スタンフォード大学教授)を代表的な脇役だと考えれば、当時の状況を概ね正しく理解できると思います。

釜江先生はKEK(高エネルギー加速器研究機構)の発足に活躍された実績のある東大教授でしたが、ご自身はカリフォルニア大学ローレンス・バークレイ研究所やスタンフォード大学線形加速器センターと共同研究を続ける一方、日本の宇宙観測計画にも関与しておられ、電話回線で太平洋を跨いで研究データを交換されていました。その関係で、KEKや宇宙科学研究所(当時)、東大などの研究者から、米国で普及し始めていたインターネットに参加したいとの要望が、先生に寄せられるようになりました。国家予算で縛られる多くの研究機関と、企業や地方自治体さらには特殊法人が運営する研究所をネットワーク接続するには、当時は、企業からの寄付金で設備を整え回線経費を支払う以外に方法がありませんでした。当時の東大理学部長であった和田昭允教授、トロンプロジェクトの坂村健助教授(当時)との協力で基金を集め、TISN(Todai International Science Network、国際理学ネットワーク)を組織化、その「副代表」に就任されていました。その後も、TISNの代表には歴代の東大理学部長が就任され、TISNは東大理学部のプロジェクトとして運用する姿勢を堅持されました。

インターネットの研究を進めるWIDEプロジェクトに敬意を表し、実績の豊富な東大教授である釜江先生が新米の慶応大学助教授である村井純氏の脇を固め、広く関係者を味方につけ、次々と困難を克服しました。釜江先生と村井純氏の相談結果、まずWIDEが64kbpsの国際専用線をハワイ大学に接続しTCP/IPプロトコルによる米国インターネットへの接続を済ませ、次いで直ちに、TISNが同じく64kbpsの国際専用線をハワイ大学に接続しDECNETプロトコルによる米国インターネットへの接続を行ったのが、1989年1月です。

国際専用線の優れた価格性能比が知られると、NTT研究所も国際専用線を使用してCSNET(Computer Science Network)への接続を検討する等、研究ネットワークが国際専用線を所望する傾向が顕在化しました。国際専用線の約款には、認可を受けた国際通信業者の他に、資本関係等のある特定の機関間だけで国際専用線を使用できると規定されていました。不特定多数の通信を行うこととなる、研究ネットワークはこの約款を満たしていないものですから、国際専用線を販売したKDD営業が社内外の批判に立たされ、お客であるWIDE、TISNに対して、購入時に記した特定の相手とだけ通信を行うよう、強く要請する事態が発生しました。

この事態を解決すべく立ち上がったのが釜江先生でした。1990年3月に、国際専用線の利用規約について打ち合わせたいとして、TISN代表である和田昭允東大理学部長がホストする夕食会を企画し、当時の郵政省技術政策課長や電波研究所室長、村井純氏、さらにKDD営業課長(本社の課長補佐クラスに相当)を招待しました。震え上がったのはKDD営業課長でした。当時、Iネットクラブを運用管理していた筆者に、宴会開始の30分前には会場に来て同席するように、要請してきました。

宴席の15分くらい前に釜江先生がお一人で現れました。KDD営業課長は「研究推進のために、どうぞ国際専用線をご自由にお使いください。ただし、約款がありますので、あまり派手な宣伝はご遠慮ください」と要請し、一件落着となりました。宴席では約款の話題を避けて、インターネットの重要さを話し合いました。後日、その課長に「先の発言の前に、本社の事前了解を得ていたのか?」と聞きましたら、「このような難題は現場で処理するしかない。本社に相談したら何年も結論が出ない」とのことでした。かくして、研究ネット関係者は国際専用線の約款を気にすることなく、ネットワーク活動を拡大することができるようになりました。さらに、釜江先生が、地道に、当時の文部省、科学技術庁、農林省、通産省、宇宙開発事業団、理化学研究所などの担当部長、課長、理事などに面会され、TISNへの支援を取り付けられたことが、この後、多くの省庁、独立行政法人が研究インターネットに協力する基盤となりました。

釜江先生はその後も要所でインターネットの発展に尽くされ、1993年に通信キャリア局舎でのインターネットハブ建設を提案し、1994年にはKDD大手町ビルにWIDEとTISNが拠点を置くこととなりました。さらに科学技術庁のネットワーク検討委員会の委員長として、またIMnet(省際研究情報ネットワーク)設立委員会の委員として省際ネット(IMnet)の発足を支援され、1995-1996年にはTISN会員のIMnetへの移行を完了されました。1997年にはAPAN(Asia-Pacific Advanced Network)の日米共同研究プロジェクト集めの先頭に立たれましたが、成果の出る頃には、常に渋い脇役の立場を維持されました。

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