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ニュースレターNo.40/2008年11月発行

インターネット歴史の一幕:
JNICからJPNICへ、そしてAPNICの設立 ~平原正樹さんとの思い出

JPNIC理事/慶應義塾常任理事兼慶應義塾大学環境情報学部教授 村井 純

JNICを設立され、JPNICの初代運営委員長を務められた平原正樹さんが、2008年7月29日に48歳の若さでご逝去されました。

日本でコンピュータネットワークが本格的に構築され始めた1980年代、日本の大学や研究機関などがインターネットに接続するためには、当時全世界のIPアドレスの割り当て業務を行っていた米国のSRI-NIC※1へ、それぞれの組織から個別に申請しなければなりませんでした。SRIは米国の機関ですから、申請フォームへの書き込みと担当者とのやりとりは全て英語で行わなければなりません。また、申請に必要な項目なども、日本のインターネットの現状には必ずしも適したものではありませんでした。

そこで、私は南カリフォルニア大学情報科学研究所(USC/ISI)のJon Postel氏※2を訪ね、世界的に広がっていくであろうインターネットの資源管理、つまり、IPアドレスの割り当てとドメイン名の登録管理を今後どのように進めていけばよいのか、話し合いをしました。

当時、アジア太平洋地域では、日本以外にオーストラリアやニュージーランドでもインターネットへの接続が始まっていましたが、彼らの母国語は英語であり、言語的な障壁はありませんでした。しかし、非英語圏の国々を多く抱えるヨーロッパ地域では日本と同様の問題を抱えており、当時同地域でインターネットの構築に携わっていたDaniel Karrenberg氏※3が、Postel氏に似たような相談をしていました。

こうしたことから、私達日本とKarrenberg氏を中心とするヨーロッパが、「皆が対等の立場で参画できるグローバルなインターネットレジストリ」の仕組み作りにあたり、パイオニア的な存在となったことは事実です。つまり、ヨーロッパでは、Karrenberg氏らが中心となり、世界初の地域インターネットレジストリ(RIR)であるRIPE NCCの設立に向けた活動へと繋がり、その後日本では、1989年2月より、SRI-NICからIPアドレスブロックの委任を受けた「ネットワークアドレス調整委員会」が、日本でのIPアドレスの割り当て業務を行うことになりました。この「ネットワークアドレス調整委員会」は、大学の教官らにより、ボランタリーな活動として行われました。

またドメイン名についても、1988年8月に私がPostel氏からJPドメイン名の割り当てを受け、JUNETの管理グループであるjunet-adminが管理してきたjunetドメイン名を、1989年にJPドメイン名に移行しました。その後JPドメイン名は、JUNET以外のネットワークにおいても使用されることになるのですが、実質的なドメイン名割り当て組織の不在から、引き続きjunet-adminが、こちらもボランタリーに登録管理を行っていました。

いずれの組織もボランタリーである上、さらに多忙な人で構成されていたため、迅速な対応ができず、限られた時間の中で公平な判断を下すことにも限界が見えてきました。そのため、IPアドレスやドメイン名というインターネットにとって重要な資源管理を本来業務とし、迅速かつ公平に行う組織が必要となりました。そしてついに、各ネットワーク団体および学会の代表から構成されるJCRN(研究ネットワーク連合委員会)が設立母体となり、JCRNに参加する各ネットワーク団体の協力の下、現在の社団法人の前身である日本ネットワークインフォメーションセンター(JNIC)が発足することになったわけです。

平原正樹さんはその当時、九州地区のJUNETハブサイトであったkyu-csの管理運用や、大学間の相互接続ネットワークであるJAINの立ち上げを行う傍ら、九州大学の荒木啓二郎先生の下、九州におけるインターネットコミュニティの組織作りに活躍されていました。

この頃、日本各地に地域ネットワークと呼ばれるネットワークコミュニティが多く誕生していましたが、その中でも特に九州は、平原さんの強いリーダーシップの下、とてもよくまとまっていたように記憶しています。つまり、日本が世界に対して行っていることを、平原さんたち九州は、日本に対して行っているようなところがありました。そこで私は、JNICの立ち上げと活動の推進をぜひ彼にお願いしたいと考え、1991年5月に九州大学から東京大学に移っていただきました。

1991年12月1日のJNICの発足とともに、junet-adminからJNICへJPドメイン名の登録管理業務が移行し、IPアドレス割り当て管理業務も1992年6月8日にネットワークアドレス調整委員会からJNICが引き継ぎました。平原さんは強い責任感とリーダーシップにより、駆け出しであったJNICのインターネットレジストリとしての活動を、見事に軌道に乗せてくれました。のち(1993年)にJNICはJPNICとなり、私が初代センター長を、平原さんが初代運営委員長を務めることになります。

こうしてJNICが無事発足し、日本国内でのインターネット資源管理を行うようになった1992年当時、世界の中でIPアドレスの割り当てを行うための機関は、ヨーロッパ地域を対象とする地域レジストリであるRIPE NCC、日本を対象とするJNIC、アメリカおよび全世界を対象とするThe NICの三つのみであり、アジア太平洋地域を対象とする地域レジストリはまだ存在していませんでした。

当時、アジア太平洋地域でインターネットに接続していた国は、日本、オーストラリア、ニュージーランドをはじめとする数ヶ国のみでした。しかし、今後の世界的なインターネットの発展を考えた場合、それを支えるための地域レジストリが必ず必要になると考え、APNICの設立を呼びかけることにしました。

1993年1月にホノルルで開催されたAPCCIRN(Asia-Pacific Coordinating Committee for International Research Networking)の会議で、APNIC設立に向けたパイロットプロジェクトの提案を、平原さんと私の連名で行いました。その後、APNICが本格的に稼働するまでの間、JPNIC内に設置された「APNIC作業部会」のメンバーとして、平原さんとともにこのプロジェクトを推進し、その活動は今日まで繋がるAPNICの基礎となりました。

その後平原さんは1993年に九州大学に戻られ、奈良先端科学技術大学院大学を経て1996年にミシガン大学のMerit Network Inc.に転身し、ネットワークの先端研究の道に進まれました。平原さんとの付き合いは長く、思い出は尽きません。彼はインターネットレジストリという、少し地味かもしれないけれどもインターネットのためにはなくてはならない仕事を「俺がやるよ」と引き受け、心を込めて進めてくれました。インターネットの初期に、Jon Postel氏がしっかりその役割を果たしたからインターネットがここまで来られたように、日本のインターネットにとっては平原さんが、言わば日本のJon Postel氏の役割を果たしてくれたからこそ、現在の発展があるのだと思います。

平原さんはまさに先端研究のリーダーとして独立行政法人情報通信研究機構(NICT)で新しい仕事に着手し、羽ばたき始めた時だったと思います。彼の夢・彼の情熱をしっかりと受け止め、次の世代に引き継いでいくのが残された我々の努めです。彼の遺志を引き継ぎ、ぜひみなさんと一緒にネットワークの未来に向けた活動に取り組んでいきたいと思います。


※1 Stanford Research Institute's Network Information Center。当時、インターネットにどんなホストが接続されているかを管理し、HOSTS.TXTファイルとして公開していた機関。

※2 1943年生まれ。インターネットの黎明期よりその構築の中心人物として活躍し、後に「インターネットの神様」と呼ばれる。100本以上のRFCを執筆し、1988年にIANAを設立。1998年に心臓疾患により急死。

※3 1959年生まれ。1980年代よりヨーロッパ地域におけるインターネットの構築の中心人物として活躍。RIPEおよびRIPE NCCの共同創立者。現RIPE NCCチーフ・サイエンティスト。

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