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ニュースレターNo.42/2009年7月発行

JPNIC会員企業紹介

「会員企業紹介」は、JPNIC会員の、興味深い事業内容・サービス・人物などを紹介するコーナーです。

株式会社クララオンライン
所在地 : 東京都江東区有明3-1-25 有明フロンティアビルA棟6階
設 立 : 1998年5月22日
(前身、合資会社クララオンライン設立:1997年5月20日)
URL : http://www.clara.co.jp/
事業内容 : インターネットサーバ管理、インターネットドメイン管理
(2009年5月18日現在)

今回は、なんと15歳の若さで起業し、 「人を大切にする」経営をモットーに、 アジア市場でのホスティング事業も積極展開しているベンチャー企業、 「クララオンライン株式会社」の代表取締役社長家本賢太郎氏にお話をうかがいました。 起業背景、事業内容、 会社経営の極意や今後のインターネットに対する見解等、 幅広くお話しいただきました。

「インターネットを使って、早く社会との接点を持ちたい」
15歳で起業した経営者によるアジア市場獲得戦略と
ワークライフバランス確立に向けた取り組み

代表取締役社長 石田慶樹氏
代表取締役社長 家本 賢太郎氏
【プロフィール】
1981年12月2日生まれ(現在27歳)。
1997年3月愛知県江南市私立滝中学校卒業。
同年5月20日、クララオンライン設立。
2001年9月慶應義塾大学環境情報学部入学、2006年3月同中退。
2007年3月早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了。
14歳の頃、脳腫瘍の摘出後に車椅子生活になるが、17歳になり奇跡的に回復し、車椅子無しでの生活に戻る。

自分達の付加価値を世に出していくために-エンタープライズ向けホスティング事業への転換-

はじめに貴社の事業についてお聞かせください。

東京、名古屋、台湾、シンガポールを拠点に、 エンタープライズ向けのサーバーホスティング事業を中心に展開しています。 ここ数年間で、我々の主な市場セグメントを、 月額数百円?数千円レベルから、 数十万円~数百万レベルへと軸足を移してきました。 つまり、個人・中小企業向けから、 可用性や信頼性が一層求められるエンタープライズ向けホスティング事業への転換を行ってきたわけです。

主要事業を、エンタープライズ向けホスティング事業に転換した理由は何でしょうか。

サーバーホスティングのベースとなる技術には、 革命的な変化がここしばらくなく、 私が起業した1997年頃から根本的にはそう変わっていません。 ですから、市場規模は欧米と比してたいして大きくならず、 業者だけが純増する日本でビジネスを拡張するには、 「価格を下げる」「顧客セグメントを変える」くらいしか、 他社との差別化を図るすべはありません。

この10年、日本では当社も含め、 高い付加価値を付けたサービスを提供できた事業者はいませんでした。 我々自身がもっと高いところまで成長するために、また、 しっかりとした先行投資や研究開発を行えるようにするためにも、 ある程度の利益が得られるビジネスレンジへの移行が必要だと考え、 思い切って顧客セグメントを個人・中小企業からエンタープライズに向けて移行しました。

具体的には、現在どのようなサービスを提供されていますか。

Linuxベースの仮想化ホスティングサービスを、 日本でもかなり早い時期(2003年)から提供してきました。 新規のお客様の約3割がご利用になり、ご好評いただいています。 また、ここ数年の新たな取り組みとしては、 コンプレックスホスティング(複合型ホスティング)にも力を入れ、 専用サーバのホスティング市場をさらに拡大しようとしていることです。 例えば、ロードバランサー、ファイヤウォール、ストレージの運用、 ネットワークの構成をお客様と話をしながら検討することも全てひとまとめにして、 ホスティングサービスとして提供しています。 このようにサーバ単位ではなく、ネットワーク全体として提供していく、 この点が我々がお客様から選んでいただけている理由だと思います。

我が社では、Webによる申し込みではなく、 全体の9割近くの契約を対面式営業で取ってきています。 サービスはある程度標準化されていますが、対面式のメリットを活かし、 お客様のご要望に応じてカスタマイズする形でもサービス提供しています。

台湾やシンガポールなど、海外での営業は、いろいろとご苦労もあるのではないでしょうか。

我が社の営業部隊の他に、海外にはSIerなどのパートナー企業がいます。 基本的には、お互いの強みを活かすかたちで、 こうしたパートナー企業と対になって営業活動を行っています。 例えば、 海外であるお客様からWebをリニューアルしたいという要望があった際、 併せてサーバを変えたいなどの話が出てきたりするので、 このような場合にはパートナー企業と一緒に対応しています。 そういう意味では、お客様とだけでなく、 パートナー企業とのリレーション作りも大切にしています。

最近の業績はいかがですか。

おかげさまで、事業業績は非常に好調で、今期の売り上げ予想は、 連結で約12億円です。 純利益としては、国内・海外併せて1億円程度を見込んでいます。 昨今の経済状況悪化による売り上げの落ち込みを懸念し、 営業には随分とハッパをかけたのですが、結果としては順調というか、 むしろ追い風ですね。

今後の事業展望についてお聞かせください。

次の成長戦略として、アジア市場を取っていこうと思っています。 ただ、そうは言っても、 日本のインターネットのボリュームやプレゼンスはアジアの中でも大きいので、 あくまでも日本を軸として、 「インターネットインフラストラクチャ」 をアジアの国々に提供していきたいですね。

海外での事業モデルとしては、海外進出する日本企業のサポートや、 日本に進出する海外企業のサポート、 また海外では現地でのインターネットの発展に伴って必要になるホスティング等のサービス提供を考えています。

「早く社会との接点を持ちたい」-インターネットと出会い、15歳で起業-

15歳という若さで起業なさって、そこから堅調な今への流れがあるのですね。そもそも起業をしようと思った理由は、何だったのでしょうか。

単純に起業しか選択肢がなかったんです。 当時私は、車椅子生活を送っていて、 そんな中インターネットというものに出会い、 「これで自分の道が開ける!」と思いました。 でもその一方で、実社会との接点なくして、 自分の人生に意味はあるのだろうかという思いもありました。 つまり、起業した一番の動機は、 「インターネットを使って、 早く社会との接点を持ちたい」ということだったんです。 会社を作りたいとか、儲けたいとか、 そういう理由からではなかったですね。

親は起業に反対だったので、アルバイトをしてお金を貯めて、 ビジネスをスタートしました。 ちなみに、今では私は3歳の子供の親でもあるのですが、 もし子供が同じことをすると言ったら、やはり反対すると思います。 そういう意味では、当時もう少し社会のことを知っていれば、 起業していなかったかもしれないですね。 15歳の時なんて、インターネットの明るい面しか見えていなかったし、 社会の難しい面なんて知らなかったですから。 そういう楽観的な面も良かったし、時代がよかったというのもあります。

時代がよかったとは?

クララオンラインの前身となる会社を興したのは1997年で、 ITビジネスがいろいろと出始める少し前でしたが、 インターネットは既に存在していましたし、 ある程度その周辺のインフラも整ってきたという時代でした。 それに、ISPはありましたが、 サービスがまだそれほど充実していませんでしたね。 だから、数年でも起業のタイミングが前後していたら、 ビジネスチャンスは無かったと思うし、すごく幸運だったと思います。

インターネットビジネスの中でも、なぜホスティング事業を選んだのでしょうか。

まだ若かったので、 それほど深く考えていなかったというのが正直なところです。 ただ、ホスティングの事業モデルはストック型(積み上げ型)で、 新規の契約と解約の数がひっくり返らなければ、大丈夫なんです。 数字の足し算引き算さえ間違えなければ失敗しないだろう、 と当時思ったわけです。 仮にISPのビジネスだと先行投資が必要だし、Webデザインであれば、 常に毎月営業し続けていかないといけないですからね。 自分としても、ビジネス経験が全くなかったので、 長く勉強しながらやっていけるということで、 残った選択肢がホスティングだったということです。 また、黒子に徹するというか、 お客さんのビジネスをサポートするという仕事がやりたかったので、 その点でもホスティング事業はぴったりでした。

起業当時について語る家本社長
起業当時について語る家本社長

若くして起業して、何か危機的な状況に直面したことはありましたか。

実は、会社を何度かつぶしかけているんですよ。 今は全く心配ないくらいまでになりましたが、起業後3年間は、 それこそ風が吹けば飛んでいくような状態でした。 インターネットコミュニティの方々は年齢的にも若く、 非常に先進的な方ばかりでしたが、実際の訪問先となるお客様の大半は、 メーカーや流通、小売といったNon-ITの方々でした。 そういったお客様は、従来重んじられてきた、 年功序列に慣れ親しんでいらっしゃる方達が多かったので、 自分のような若造が行っても相手にしてもらえなかったですね。

それに、資金調達の面では大変苦労しました。 20歳前だとお金を借りるどころか自分は保証人にすらなれないですから。 当然、銀行に行っても相手にしてもらえなかったので、 先行投資にあたり、18歳の頃には無担保の社債を発行しました。

さまざまな困難に遭いながらも、あきらめずに会社経営を続けてきたということは、温かいサポートがあったからでしょうか。

はい、これまで本当にいろいろな方達に支えていただきました。 村井純先生に、会社の株主として入っていただいたこともそうです。 また、私が17歳で会社をつぶしかけた時には、 セイノーホールディングス株式会社の現社長、 田口義隆氏に個人的に出資していただいたりもしました。

田口氏はまだ若い経営者ですが、資金面以外にも、 取締役会にも毎月出席いただく等、 強力なお目付役兼サポーターとして大変お世話になっています。 つい数年前まで、我々は名古屋に本社を置き、ビジネスをしていましたので、 中部圏では絶大なパワーを誇る西濃運輸の田口氏のお力添えは大きなものでした。 こうした新しい時代を理解してもらえる人にサポートをしていただけたのが、 ここまで生き残ってこられた大きな理由だと思います。

これまで経営者として大切にしてきた信条があれば、教えていただけますか。

やはり、「人を大切にすること」です。 以前会社をつぶしかけた時に、 お客様には何とか迷惑をかけずに済みましたが、給料が支払えず、 社員みんなに辞めてもらわないといけなくなりました。 二度とそうした辛い思いはしたくない。 一度雇用した人は守っていきたいし、 社内でさまざまなチャンスを社員に提供していきたいと思っています。 現場の人間がいてこそのクララオンラインですし、 「人」こそが我々の競争力の源泉だと考えています。

ところで、貴社の社名「クララオンライン」の由来とは?

よくいろいろな人から「アルプスの少女ハイジに出てくる、 車椅子のクララから付けたのですか」と聞かれますが、違うんですよ(笑)。 実は、私の妹の名前がクララなんです。 ラテン語で「人に喜びをもたらす。光り輝く」という意味で、 気に入っていたんですよ。

創業時、私は15歳で、 将来はグローバルな仕事がしたいという気持ちがありました。 賢太郎という私の名前を社名にとも思いましたが、 それでは海外には進出しづらいと考え、「クララ」にしました。 あとは、インターネットがあり続ける限り私は事業を続けるだろうと思い、 「オンライン」と付けました。

海外でもこの社名を使っているのですか。

はい、そうです。どこに行っても通じますし、発音もしてもらえます。 これは余談ですが、ヨーロッパに行くと、 “Clara”は日本でいうキクさんやウメさんのような古い名前で、 70代~80代位のお年寄りに多い名前なんですよ(笑)。

企業ロゴ
株式会社クララオンラインの入り口に掲げられている、 紺色とオレンジ色の波模様が交互に描かれた企業ロゴ。 「信頼」と「飛翔」を象徴している。

きっかけは外国籍社員の採用と多様性の受容-ワークライフバランスへの取り組み-

貴社には外国籍の方が多く働いているとお聞きしましたが。

現在、日本のオフィスには約55名の社員がいます。 そのうちの2割強が外国籍です。 起業当初、名古屋は景気がよくて、 我々のようなベンチャー企業には人が来てくれなかったんです。 それで優秀であれば国籍は問わず、 採用してみようと外国籍の人を採用し始め、現在に至っています。 社内には、 国籍の多様性によってステレオタイプのようなものがなくなったように思いますし、 日常的に異文化交流という雰囲気で、とても面白いですね。 うちは声が飛び交っている元気な会社で、 飲み会をすると店員さんが顔をしかめるくらい。 出入り禁止とまではいかないですが、ギリギリな感じでしょうか(笑)。

社内での公用語は何ですか。

日本のオフィスでの公用語は、日本語です。 外国籍社員はみんな頑張ってくれたので、日本語は非常に流暢ですね。 他の海外オフィスとのやりとりは、英語と中国語がメインで、 最近では電話のやりとりは中国語の割合が非常に大きくなっています。

外国籍社員にも、お客様には日本語で対応させているので、 たまに珍しいとのお声を頂戴しますが、 言語のことでトラブルになったことは今まで一度もないんですよ。 社内で日本語教育をする際に、 日本人が許容するイントネーションの幅を理解させてから現場に出すようにしていますからね。

貴社は、ワークライフバランスに積極的に取り組まれていることで有名ですが、そのきっかけは何だったのでしょうか。

先ほど2割強の外国籍社員がいるとお話ししましたが、 彼らは皆宗教も違いますし、それに伴い休日も異なります。 働き方や生活に対する考え方も、 日本の教育・文化背景を持つ私とは違っていて、例えば、 子供が生まれる時やバカンスなど休みを取る際の考え方も異なるわけです。 そうしたことをたくさん目の当たりにし、 私自身「これが正しい」と言い切れないことがあることを、 すごくよく理解できるようになったんです。 こうした社内にある多様な考え方を、 どのように受容していくかが議論の入り口になりました。

また、社員の多くが世代的に、 結婚・出産等によるライフスタイルの変化が起きはじめる時期であったことや、 既に出産・育児を経験した少し上の世代の社員は、 自分のライフプランをどうしようかと見つめ直す時期を迎える頃だったこともあり、 2005年からワークライフバランスについて検討し始めました。

ワークライフバランスとはどのようなものだとお考えでしょうか。

ワークライフバランスとは、 仕事を緩くやりましょうということではなくて、 「選択できる自由を提供すること」、 「いろいろなやり方があることを受け入れること」だと思います。

例えば、実家に帰るために休みを取るといっても、 私は名古屋が実家なので数日あればいいですが、 フランスが実家の社員だとそうはいかないですよね。 そういう社員が、仮に2週間お休みが必要なら、 2週間休めるようにしないといけない。 これは、外国籍の社員に限ったものではなくて、 日本人社員でも海外旅行等で必要ならば休んでいいと思うんですよ。 キチキチで何もできないというのではなくて、 したいことがある程度できるような「選択の自由」を提供できるように、 会社がその制度を準備することはもちろん、 社員も一緒になって考えていくことが必要だと思うんです。

ワークライフバランスに積極的に取り組んでいるのは、どうしても女性が中心の会社が多いように思います。IT技術があるからこそ、ワークライフバランスが実現できているところも大きいと思うのですが、皮肉なことにホスティングやデータセンターなどIT系の仕事は長時間勤務が多く、厳しい労働環境ですよね。だからこそ、IT企業である貴社にぜひ変えていってほしいですね。

我が社には、性別とか、身体に障害があるとか、 そういった外形的なものでその人の能力を判断しないという企業理念があるんです。 とはいえ、人それぞれ、得意不得意はあるので、 各人ができることを考えていきましょうというスタンスでいます。 これを実現するにはワークシェアリングが必要になりますが、 この発想を繋げて考えていけば、 ワークライフバランスへの取り組みもそれほど難しいものではないと思います。

また、こうした考え方を、 経営者自身が実際に社員に示してみることも大切だと思います。 実際、私は、週に何度か子供の幼稚園の送り迎えをしたりしています。

では、社長ご自身のワークライフバランスは取れているとお感じでしょうか。

はい。土日はなるべく家族との時間を大切にしています。 平日はその分ドタバタしていますが、 土日はとてもリラックスできていますよ。 そのおかげで、昔と違って、 精神的な面で自分自身が変わってきたように思います。

他の企業から貴社のこうした取り組みについて相談を受けることはないですか。

よくありますね。 ワークライフバランスについては、 去年(2008年)までは政府も大騒ぎしていました。 今はかなり不況なので、少しトーンダウンしましたけれども。 話を聞きたいとお声がけいただき、いろいろなところに出向きました。

そうした場では、中小企業、ベンチャーとして何ができるのかについて、 「もちろん簡単にはできないけれど、 こういう組み合わせでこういうやり方だったらどうでしょう」 といった話をしました。 他企業との意見交換は、自社にとっても参考になったので、 このような機会は有意義でした。

エンジニアや経営者の次世代育成に対する懸念-今後のインターネットについて思うこと-

今後インターネットを通じて実現していきたいことはありますか。

スポーツとインターネットの連携ですね。 私は、起業前は中学校までしか行っておらず、 起業後に早稲田の大学院でスポーツマネジメントを勉強したんですが、 それがきっかけで、先のテーマに高い関心を持つようになりました。

スポーツの分野は、まだまだITを十分に取り入れきれていないと思うんです。 最近は、巨人戦ですら地上波で放映されなくなって、 もはやテレビでスポーツコンテンツが流れる時代でなくなってきていますよね。 一方、ファンはインターネットを駆使して情報収集を行っています。 スポーツ界でより一層インターネットを活用できるようにしたいと思います。

スポーツ関連のお仕事も現在なさっているのでしょうか。

はい。 我々のお客様に日本陸上競技連盟様がいらっしゃるのですが、 日本陸上選手権ではNHKと組んで映像配信なども行わせていただきました。 あとはお客様に名古屋グランパス様もいらっしゃるんですよ。 スポーツ関連は、半分商売度外視、先行投資というくらいに思っています。

またスポーツ関連の仕事の中でも、名古屋のスポーツイベントに関わり、 地元のインフラを支えることは、名古屋人の私にとっては誇りです(笑)。 個人的には、目先数年のためではなく、将来にわたって、 「名古屋」というところのインターネットのサポート役にぜひならせていただきたい、 という強い希望も持っているんですよ。

今後のインターネットについて思うことがあれば、お聞かせください。

インターネットは社会のインフラとして深く根付きましたが、 その要となるインターネットインフラに対する一般の人の理解度は非常に低く、 コンテンツ系に比べ、 インフラにかけられるコストは非常に少ないのが現状です。 今後は、インフラを支える役割の重要性に対しても、 社会の意識や理解を高めるために、 我々事業者はもっと頑張って社会に説明していかなくてはいけないと思っています。

また教育的な側面に関して言えば、これまで、インターネット業界には、 暗黙知的な部分が多かったと思うのですが、それでは人は育たないですよね。 ソフトウェアエンジニアはそれで良いのかもしれませんが、 サーバエンジニアは本当に若い世代が減ってきています。 特にL2、L3に関わる人。 教える人もいなければ、教えられる側の人も少ない。 これはアジアを見ても日本だけ特異な状況なので、 かなり危機感を覚えています。

これまで教える文化があったのかどうか、 また後進を育てるという考え方が足りなかった面も大きかったと思います。 最近のエンジニアは、OSが知識の起点となっている人が多いので、 インターネットが実際にどうやって繋がっているか、局舎を見せたり、 ケーブルの引き込みを見せたり、 そういうことが必要なのではないでしょうか。 実際、我が社は理系だけでなく文系の人も採用しているので、 実際に光ファイバーが出ているところを見せる体験をさせたりしています。

また、同じく次世代育成に関する懸念としては、もう一つ、 ITベンチャー企業などの、 次世代を担う経営者の不足もあると思っています。

そうなのですね。具体的には、どのような状況なのでしょうか。

先輩ITベンチャー経営者(1971年~76年生まれ)の支援をたくさん受けて、 自分達の世代(1980年~81年生まれ)の経営者が出てきました。 しかし、後輩にあたる世代(1981年~86年生まれ)で、 ある程度の大きさのIT企業経営者は、わずか数名しかいないんです。 彼らの時代は、就職環境が良かったからという理由もあるとは思いますが、 やはりこの状況は大変気になっています。

若い人達が自分でチャンスを見つけて、 ビジネスを作っていくことをサポートする役割は、絶対に必要だと思います。 今後は、自分自身そうした役割も担っていきたいと考えています。

では最後に、家本社長ご自身にとって、インターネットとは何でしょうか。

「自分の人生を変えたもの」であり、 「自分を作り上げてくれたもの」ですね。 これがなければ、今頃何をやっていたのかわからないです。 また、別の言い方をすると、「私にとって足と手」だと思います。 それは、 車椅子という物理的な空間の制約を 「インターネット」が全て解いてくれたからです。 今まで他に、そういった手段はありませんでしたからね。

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