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ニュースレターNo.46/2010年11月発行


インターネット歴史の一幕:
JPNICでの課金の開始
~会費制の導入と、申請手数料制の実施~

JPNIC理事 丸山 直昌

今を去ること約20年、JUNETと呼ばれた、主にUUCP接続によるネットワークがあり、そこで用いるドメイン名の付与作業をjunet-adminと呼ばれたボランティアの人達が行っていました。一方、次第にIP接続とDNSが使われるようになり、JUNET参加組織にも徐々にIP接続が普及してゆきました。当然のことながら、IP接続に用いるドメイン名はJUNETで用いるものと一致している必要があり、junet-adminのドメイン名付与作業の結果を、bind-adminと呼ばれる別のボランティアの人々が.jpのDNSに登録する、という形がしばらく続いていました。しかし、junet-adminによるドメイン名付与作業は滞りがちで、そのために、IP接続はできているのにDNSへの登録ができない、という状況さえ懸念される事態になりました。

この状況を打開するために多くの人々が努力を重ね、1991年12月にJNICが設立され、ドメイン名付与作業とDNSへの登録を一つの組織で行う体制ができました。JNICは、情報処理学会が呼びかけて日本物理学会、日本化学会、日本数学会など、主要な学術団体の了解を得る形でスタートさせることができました。それはインターネットは「学術ネットワーク」として始まった、という経緯が大きく関係していたと言って良いでしょう。実際にJNICの運営を担ったのはbind-adminを引っ張っていた故平原正樹氏や高田広章氏でしたが、設立準備作業中に彼らが想定していなかった一つの「事件」が起こってしまいました。某先生が「JNICの運営費用は私の研究予算からお金を回します」と言ってしまったことでした。もちろん親切心でそう言ってくださったのだと思いますが、これには平原、高田両氏とも落胆していました。私には彼らの気持ちは容易に推測できました。今でこそインターネットは社会基盤と言えるほど普及していますが、当時は一般にはほとんど知られていませんでした。しかしインターネットの将来像を想定していた二人から見れば、受益者に応分の費用を負担してもらう仕組みは必須であって、その仕組み作りの手掛かりをJNIC設立にあたって得たい、と考えていたのでしょう。某先生の親切はその出鼻をくじく意味になってしまったのだと思います。こうしてJNICは確たる財政基盤を持たないまま出発せざるを得ませんでした。

JNICは、ドメイン名関係の仕事の他、1992年の中ごろからは、IPアドレスの日本国内での分配の仕事も「アドレス調整委員会」から引き継ぎました。これらの仕事だけで十分に忙しかったわけですが、しかし財政基盤作りは常にJNICの重大関心事でした。私自身は、日本数学会を代表する形でJNIC設立の準備過程を垣間見た形でしたが、平原氏に誘われてJNIC運営委員会に入り、財政基盤作りの議論にも参加しました。そこで考え出されたのが、今でいうISP(Internet Service Provider)の会費制による会員組織の設立でした。ISPと言っても、当時は商用のISPは全くサービスを開始しておらず、ごく少数のISPがサービス開始の準備をしている状況でした。従って想定される会員はすべて「学術ISP」、つまりは大学や公的研究所などの情報処理センターの連合体だったのです。これらの担当者の方々はそれぞれの所属組織でネットワークの実務に直接関わっている人達であり、しっかりした財政基盤が必要なことは十分に理解してくださっていました。また、「財政基盤無しでは日本のインターネットは破綻する。」という絶対的な説得材料がありました。しかし、これらの人々がそれぞれの所属組織の事務方を説得するには、それなりの苦労があったことと思います。JNICでの議論では、そのような方々の苦労も考えた上で制度設計を考える必要があったわけです。一方、この時にはもう「学会」を説得する必要は無くなっていました。

こうして1993年4月に会員制のJPNICを発足させることができました。会員資格は「ネットワークプロジェクト」で、これが今で言うISPでした。会費は各会員の傘下にあるドメイン名数で決めていたので、実質これが今で言う「ドメイン名の維持料」の起源ということができます。時期を同じくしてアメリカではInterNICが、またヨーロッパではRIPE NCCが設立されて、私はJPNICを世界で3本指に入るNICであると自負していました。しかし、財政基盤作りはまだほんの第1段階であって、すぐに次の段階への準備を開始する必要がありました。海を越えた向こうでは.comの登録数が急増しているという話が伝わってきて、時間に追われている気がしていました。Finance Working Group(Finance WG)という作業部会を作り、議論を重ねました。次の目標は、申請手数料制の導入でした。維持料は登録の次の年度から収入になるので、.comのように申請数が急激に増加すると、コストに見合う費用の回収ができないことは明白だと考えたわけです。ここでの困難は、不特定多数の人達を説得することの難しさでした。Finance WGでの審議の様子を公開し、さらに全く面識が無い人にまで交通費を支給してWGの公聴会に来てもらう、ということまでやりました。それでも「.comは無料なのになぜ.jpは金を取るのか?」という非難を受けました。「.comだってこのままで続くわけがない。近いうちに必ず取るはず。」と確信していましたが、それはおくびにも出さずにひたすら説得に努力しました。当初1995年4月1日からの徴収開始を目指していたのに、実現できなかった時の平原さんの落胆ぶりは痛々しいほどでしたが、4月1日から私が事務局長を引き受け、当時は数少なかった有給職員を励まして、何とか6月1日からドメイン名の申請手数料の徴収を開始できました。その報告を平原さんは1995年6月30日ハワイ・ホノルルで開かれたINETで行っています。そして実際1995年9月14日から、InterNICは何の前触れも無しに.com、.net、.orgの申請手数料の徴収を始めました。全米科学財団から当初5年計画で与えられた1,200万ドルの予算を3年で使い切ってしまった結果でした。

財政基盤整備のための改革はその後も何回か行われていますが、中でも私の記憶に強く残っていることを書いてみました。これらを振り返ってみると、公平性や情報の公開性が常に求められているJPNICにおいて新たな課金制度を作ることの難しさをつくづく感じます。その難しさとは、一つには無料を有料にすることを納得してもらう難しさであり、また説得すべき相手が誰であるかが毎回違う、という点もあります。さらに、世界的に見ても前例がないという点でも困難でした。しかし、そのような困難を乗り越えてでもやろうとしたのは、インターネットの将来像についての確かな見通しを持っていたからであって、その点はJPNICが誇れることだと考えています。今JPNICが取り組んでいるもう一つの課金問題、「歴史的経緯を持つプロバイダ非依存アドレス(歴史的PIアドレス)への課金」についても、簡単なことではありませんが、当事者の一人として、何とか乗り切ってゆきたいと考えています。

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