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ニュースレターNo.47/2011年3月発行

インターネット歴史の一幕:
JPRS設立10周年に寄せて

株式会社日本レジストリサービス(JPRS)
代表取締役社長 東田 幸樹

JPNICから「インターネット歴史の一幕」に、JPRSの設立について書いて欲しいという依頼をいただいた時、あらためて、あれから随分月日が経ったのだと気付き、深い感慨を覚えました。

JPRSの設立は2000年12月、ブログがまだ「Web日記」と呼ばれており、mixiやTwitterなどもこの世に存在しなかった頃ですが、社会全体がインターネットを中心としたものにこれから大きく変わっていくと、誰もが確信し始めていました。

JPドメイン名は世界で最も早い時期に運用が始まったccTLD(国コードトップレベルドメイン)の一つであり、これを管理する組織として1991年にJPNICの前身であるJNICが設立されて以来、JPNICがJPドメイン名の登録管理とDNSサーバの運用を担っていました。そして、1990年代にインターネットが社会的に重要なものと位置付けられていく中で、サービスの品質、特にインターネットの安定運用に必要不可欠なDNSの信頼性・安定性への要求にどのように応えていくのかが、JPNICにおける大きな課題となりました。

これに対応するためにJPNICでは世界に先駆け、ドメイン名に登録料の形で課金を実施し、ドメイン名の登録管理やDNSサーバの運用のコストを国の税金や補助金ではなく、インターネットコミュニティ自身の手で賄う形態を実現しました。その後JPNICは1997年に社団法人となりましたが、天下りや税金・補助金の投入を受け入れることなく、純粋な民間団体の形を一貫して維持してきました。

しかし、同時にこの頃、ドメイン名は効果的なプロモーションのための道具という、新たな役割を担うようになってきました。時代はまさにドットコムバブル。社名やサイト名にも「~ドットコム」が流行する中で、ドメイン名も登録要件がいち早く緩和された、.comや.netなどのgTLD(分野別トップレベルドメイン)を使用する事例が急速に増えていきました。

それに追い打ちをかけるように、1998年に設立されたICANNは、.bizや.infoなどの新しいgTLDを設置する動きを進めており、また、.com/.net/.orgのレジストリであった米国ネットワークソリューションズ社(2000年に米国ベリサイン社が買収)が、当時標準化のための活動が開始されたばかりであり、既存のインターネットへの影響やサービス面における議論が十分ではない状況で、国際化ドメイン名(IDN)の導入を表明しました(識者の間で懸念された通り、gTLDへのIDNの導入は、許容する言語や商標・商号保護の問題など、大きな混乱をきたしました)。

このように1990年代後半、まさにドメイン名のサービスはTLD間の競争時代に突入し、JPドメイン名はインターネットを取り巻く急激な社会の変化に対応しきれず、危機的な状況にありました。

この状況を解決するため、JPNICに参加する多くの人々が議論を重ねました。急速に変化するドメイン名のニーズに応えるためのサービスは何か。変化し続ける社会の中でよりよいサービスを提供し続けるための枠組みはどうすれば作れるのか。議論は深夜まで続くことが定常化し、朝方までということも度々ありました。そして積み重ねられた議論の結果が、登録要件を緩和した汎用JPドメイン名の導入と、ドメイン名事業の株式会社化でした。

進化を続けるインターネット社会の中で、競争状態に置かれたドメイン名事業を安定して継続・発展させていくためには、基本的に単年度決算であり長期にわたる大型設備投資が難しい社団法人という組織形態では、限界がありました。また、ビジネスとして競争し、サービスを進化させるだけではなく、時代に合った新しいビジネスやサービスを創り出していくためには、民間企業の形での事業展開が必須でした。

株式会社化の検討を担当する理事として、当時の運営委員長であった佐野晋と、事務局長であった私が指名され、2000年11月2日のJPNIC総会に新会社設立の提案を行いました。検討を重ねてきた私達にとっては自信のあった計画だったのですが、総会では質問と反対意見が噴出し、史上例を見ない混乱した総会となってしまいました。理事長の村井さんは採決を見送り、12月22日にあらためて臨時総会を開催することを判断しました。

当時、私は自分の提案が皆さんに受け入れられなかったことにショックを受け、JPNICに戻って職員の前で涙を流したことを覚えています。しかし、他の理事から「きちんと説明すれば必ず理解してもらえる。日本のために頑張ろう」と励まされ、もう一度説明をするところから始めようと奮い立ちました。

限られた日数の中、理事長の村井さんをはじめ、私も佐野も職員もできる限りさまざまな関係者の皆様のもとへと足を運び、なぜ株式会社化が必要なのかを訴えました。説明を聞いてご理解いただけた方々が多く、いかに説明が不十分なために皆様に不信感を与えてしまっていたかということを、身に染みて感じた1ヶ月半となりました。そして2000年12月22日のJPNIC臨時総会で、新会社の設立は可決承認されるに至ったのです。

しかし、新会社JPRSとしては、ここからが苦難の始まりでした。

私も佐野も、JPNICの担当理事として新会社設立の検討はしましたが、自分が役員になるとは思ってもいませんでした。しかし、紆余曲折の末、私が社長、佐野が副社長を引き受けることで決着し、佐野はNECを退職、私も東京理科大学を退職しました。2人とも、家族にも親にも絶対に反対されると思い、相談をせず決断しました。

JPNICは什器などの現物出資はしてくれましたが、現金がありませんでした。当面の現金は自分たちが出資することで賄う必要がありました。そんな中でJPRSのサービスのスタートと営業活動を進め、初めて汎用JPドメイン名がテレビCMで使われた時は、社員と共に大喜びしたことをよく覚えています。

JPRSの設立と、汎用JPドメイン名のサービス開始から10年が経ちました。JPドメイン名の登録数は、2000年1月に約12万件だったものが、2011年1月には10倍の約120万件になりました。DNSも、2001年1月には6拠点でしたが、世界中への分散配置を進め、2011年1月では26拠点へと拡充し、10年間無事故で運用し続けてきています。セキュリティ企業の米国マカフィー社からは、世界で最も安全なccTLDであるという評価を、2年連続で得ることができました。

JPRSでは、設立の際に託された役割を「ネットワークの基盤を支える企業として、インターネットの発展に寄与し、人と社会の豊かな未来を築くことに貢献します」という企業理念として常に掲げてきました。

10周年の節目を迎え、JPRSは日本のインターネットコミュニティから託されたこの大切な理念のもと、JPドメイン名のレジストリとしてよりよいサービスを追求し続けることはもちろんのこと、豊かな未来のためにさらに何ができるのかを考え、新しい領域へのチャレンジを続けていきます。

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