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ニュースレターNo.49/2011年11月発行

JPNIC会員企業紹介

「会員企業紹介」は、JPNIC会員の、興味深い事業内容・サービス・人物などを紹介するコーナーです。

今回は、東北インテリジェント通信株式会社(略称:TOHKnet、トークネット)を訪れました。同社は電気通信制度の規制緩和によって1992年に誕生した、東北電力企業グループの電気通信事業者です。東北6県および新潟県全域に光ファイバーケーブルを保有し、大容量・高速・高品質の情報通信ネットワークを提供しています。今回は、2011年3月の東北地方太平洋沖地震に端を発した東日本大震災においてどのような被害を受けたか、そしてどのように復旧を進め、まだその痛手が癒えていない中で、今後この経験をどう生かそうとしているのかなどについて、お話をいただきました。

東北インテリジェント通信株式会社
(略称:TOHKnet、トークネット)
住 所 : 〒980-0811 宮城県仙台市青葉区一番町三丁目7番1号電力ビル2F
設 立 : 平成4年10月27日
資本金 : 100億
代表取締役社長 : 柴田一成
URL : http://www.tohknet.co.jp/
事業内容 : (1)電気通信事業法に基づく電気通信事業 (2)電気通信設備およびこれに付帯する設備の工事ならびに保守 (3)電気通信および情報処理に関する機器・ソフトウェアの開発、制作、販売、賃貸および保守事業 (4)電気通信事業者が提供する電気通信回線の利用者の募集ならびにその利用促進に関する業務の受託および代理店業 (5)前各号に関するコンサルティング (6)前各号に付帯または関連する一切の事業
従業員数 : 320名
(2011年9月16日時点)

「人財」が実現する、顧客満足度No.1と災害復旧、そして復興

ご質問にお答えする前に、まず今回の震災の件に触れさせてください。ご承知の通り、今回の震災では、いまだに行方不明の約4千人の方を含め、2万人近い尊い命が失われました。お亡くなりになった方々、そして被災した数多くの皆様に心よりのお悔やみとお見舞いを申し上げます。また、全国、そして全世界からもたくさんの温かい支援をいただいたことに、東北を拠点とする一企業として、同時に東北で暮らす一個人としても、心からお礼を申し上げたいと思います。東北の復興には、これから長い時間を要すると思いますが、皆で力を合わせて難局を乗り越えていきたいと考えているところです。

「困っているのならうちが何とかしよう」、そうした企業文化が育んだ事業と高い顧客満足度

阿部 荘太郎氏
お話しいただいた方:
東北インテリジェント通信株式会社
常務取締役 営業本部長 阿部 荘太郎氏

■あらためまして、貴社の設立や事業内容について、簡単に教えてください。

当社は1992年に創立し、1994年から事業を開始した、東北電力100%出資の電力系通信事業者です。東北6県プラス新潟県のエリアで、総合通信サービスを提供しています。エリア内に、約36,000kmに及ぶ自前の光ファイバーを持ち、サービスの多くは法人・自治体向けです。これらはそもそも、東北電力の発電所や変電所を結ぶネットワークから始まりました。東北電力で培った運用技術をもとに、高い安定性・品質を携えた広域イーサネット、インターネット接続サービス、IP電話などを提供しています。

その中で、お客様に十分に満足してもらい、また東北地域の発展に貢献することを経営理念として行っています。広域イーサネットは多くの法人や自治体に利用していただき、すべてを合わせると現状で1万6千回線以上を提供しているという状況です。

■コンシューマー向けではないということですね。自治体向けにもかなりサービスされているようですが、割合としてはどのようなものでしょうか。

自治体のカバー率としては、数としてエリア内に300弱の自治体がある中で、そのうちの半分以上にサービスを提供させてもらっています。

■データセンターのサービスも最近始められたと聞きました。

はい、さらに2011年は、都市型データセンターを仙台の中心部に構築し、8月からサービスを開始しました。このデータセンターは、3月の震災の際にはまさに工事中でしたが、幸い建物は最新式で被害を免れ、工程に若干の遅れはでたものの、8月に無事サービスインを迎えることができました。

また、今年の12月からはレンタルサーバのサービスも提供しようと考えており、こうしたサービスと今までのネットワークサービスとのシナジー効果を発揮していきたいと考えているところです。

■貴社のWebを拝見しますと、数多く「顧客満足度No.1を目指す」ということが書かれています。顧客満足度はどのくらい達成できているのでしょうか?

日経BP社の日経コンピュータ誌が2010年秋に実施した「顧客満足度調査」のうち、471の中央省庁・自治体が回答した「自治体ITシステム満足度調査」でITサービス/製品を評価したところ、弊社が「ネットワークサービス部門」で首位に立つことができました。

2011年度も同誌のアンケートが全国規模で行われました。ここでも個別の点数を見ると良好な結果でしたが、残念ながら有効投票数が少なく参考扱いとなりました。

■まさに圧勝という感じですね。このような高い評価を得た秘策、または心がけていらっしゃることは何でしょうか?

競合他社との料金的・技術的な切磋琢磨というものもあるのですが、地域に密着したサービスを行い、お客様に喜んでいただき、信頼されることを目指している姿勢が評価されたのではないかと思います。

取り立てて何をやった、これをやったということでなく、あらゆるサービスをお客様の目線から提供しているということでしょうか。まさに、社員ひとりひとりの変革の意識と、お客様のためになることをやってみようという企業文化、そういうことだと思います。抽象的な言い方にはなりますが、それを怠らない努力があったからこそ、地域限定の基盤で、きめ細やかなサービスとフットワークを評価してもらっているのではないでしょうか。「困っているのならカバーします」、そういうきめの細やかなサービスですね。

また、昔から東北電力が培ってきた安定性や、世界品質をリードする土壌もあるのかもしれません。もちろん保守も24時間365日行っています。結果として、広域イーサネットの稼働率はfive nines(99.999%) を実現しています。

「人財」により、想定外の状況下でも被害を最小限にできた~東日本大震災の被害と復旧の状況~

■東日本大震災での被害は、どのようなものでしたか。お聞かせください。

実は、私は3月11日の地震発生時、東京におりました。当然その後のミーティングはキャンセルになり、すぐに仙台に帰ろうとしましたが、公共交通機関による移動手段はすべて途絶えました。運よくレンタカーが手配できましたが、帰り着いたのは、翌日の真夜中でした。会社自体には大きな被害が無いことは聞いていましたが、家族とは電話が一度つながったきりで、また社員やお客様もどうなっているのか分からず、ラジオの情報だけを頼りに、さまざまな思いが交錯した車中でした。

やっとのことで会社に戻ると広範囲で停電していました。対策本部は地震発生直後に立ち上がり、お客様の状況把握と自社設備の状況把握が始められていました。伝送端局は、バッテリーで何とか最初は動いていましたが、電気の復旧がいつになるのかも分からず、各県の移動電源車と可搬式のエンジン型発電機をフル稼働させ、何とか当社の通信を維持することを試みました。しかし、残念ながら多くの局でバッテリーが枯渇し、当日には約1千回線、翌日は約5千回線がダウンしました。その翌日にはすぐに、半分程度を復旧させましたが、結果的にお客様の1/3が一時的に通信できなくなってしまったことは、重要なインフラを預かる身としては、ご迷惑をかけ、申し訳なかったと思っています。

■地震だけでなく、津波にも襲われましたね。設備の被害状況はどのようなものであったのでしょうか。

伝送端局は南三陸町の局が1ヶ所、津波で完全に流れてしまいました。また、他所で1ヶ所床上浸水した局がありました。144ヶ所ある局のうち大きな被害はその2ヶ所であり、局自体の物理的被害は比較的少なかったと言えます。

しかし、光ケーブルについては、集計したところ、岩手・宮城・福島の3県だけでも延べ560kmのファイバーが流されました。年間1,000km程度を敷設することを考えると、1年の投資の半分が、ほんの一瞬で流されたということです。

写真:津波被害の様子を写真でお見せいただきました
営業本部経営企画部長の佐藤浩之氏より、津波被害の様子を写真でお見せいただきました
写真:津波によって被害を受けた志津川伝送端局(南三陸町)
津波によって被害を受けた志津川伝送端局(南三陸町)
写真:津波が引いた後の石巻市の様子
津波が引いた後の石巻市の様子

■その後の復旧はどのような状況でしたか?

我々は、これまでも新潟中越地震や日本海中部地震など、大規模な地震を経験しており、訓練や対策もそれなりに行ってきました。しかし、あまりこのような言い方をしたくはありませんが、これほどの大規模な地震・停電・津波は、まさに想定外としか言いようがありません。

しかし、思ったより早く復旧できたというのが実感です。4月位までに、2局以外の回復はできましたから。これは社員と協力企業の頑張りによるところがとても大きいです。今でも、お客様の設備自体が無くなってしまい、戻っていないところもありますが、それ以外の復旧はほとんどできたと言えます。

今は復旧に目処がついたフェーズであり、今後重要になってくるのが、「復興」です。特に「自治体の復興」がとても重要なポイントとなりますが、我々も通信事業者として、それにはタイムリーにお手伝いをしていきたいと考えているところです。

■2011年4月13日のニュースリリース「東日本大震災による弊社通信サービス等への影響について」を拝見し、水面下でのご苦労を拝察しました。「影響」という意味で、何が一番大変でしたか?

当社のネットワークには、県庁所在地を結んだ、ちょうど8の字のような形の基幹ネットワークがあるのですが、それを絶対に止めないということに力を注ぎました。移動電源車をフル稼働させ、この基幹ネットワークを維持しながら、その地域のネットワークをどうしていくかを話し合いました。被害の範囲が非常に広範囲であったので、回復についてもどのエリアを優先するか、どの回線を最初にするかを話し合って決める。それを24時間対応するという手はずで臨みました。

お客様自体が津波の被害に遇われ、電話も通じない、営業所もどうなっているのか、お客様の本社ですら実態がつかめないケースも多数ありました。そこで我々は地域で活動している事業者として、実際にどうなっているのかを見てみようということになりました。そこで営業マンを手分けして沿岸部に派遣し、現場を見るという訪問調査を、2週間かけて実施しました。それも、その後の迅速な復旧に結びついたと言えます。

今までもマニュアルなどは準備していましたが、しかしそれをどう効率的に進めるかは、やはり人の力です。当社は「人財」がうまく働いたのではないかと思っています。家族の消息すら分からない人もいる中、皆さんの努力には、本当に頭が下がるものがありました。

■そうした「人財」が力を発揮できた秘訣は、何だったのでしょうか?

社内では、プライベートも含めた個人の心配事を、どんなことでもいいから、何に困っているのか申し出る窓口を設けました。お子さんのこと、家族のこと、会社としてできることは無いかを探ったのです。このようにみんなに安心して働いてもらえる環境を整えたことも、少しでも社員の不安を軽減し、仕事に専念できる環境作りにつながったのかもしれません。

この窓口を利用したとある社員が奥さんとお子さんを連れて、「相談にのっていただいてありがとうございました」と、社長に挨拶に来られたということもありました。

また、震災後間もない頃は、ある自治体からの要望に応じて、封書や鉛筆などを持っていく、という対応をしたりもしました。あの頃は、商売抜きでありとあらゆることをやったというのが実態です。

シナリオにとらわれたBCPには意味が無い
~今後への教訓としてのリソース型BCPへ~

■もうほとんど復旧の作業は終わったということですか。

そうですね、まだ数件は残っていますが、復旧できるところは復旧しました。例えば、原発の立ち入り禁止区域においても、事業者や自治体から「この回線を生かしてほしい」という要望も入ってきます。こうした要望を受けた場合には、きちんと手続きを取った上でその区域に入り、復旧作業を行うなどしています。

■設備をどうするかなど、今後への教訓にはどのようなものがありますか?

津波で流された局を、津波被害を受けなかった場所に移設する工事を始めたところです。また個別案件で言うと、今回バッテリー枯渇で多くの局を止めざるを得なかったので、その辺りの電源的な対応を強化するということでしょうか。

また、今まで我々は「これが起きたらどうしよう」という対応の手順書を考えてきました。その考えが、現在、変わってきており、起きた事象にとらわれない「リソース型のBCP」というものを考えています。

■「リソース型BCP」ですか?

はい。いわゆる「シナリオ型BCP」は、「どこそこで地震があって、局舎が停電した。さてどうするか」というものです。しかしこのようにシナリオやイベント単位で物事を考えると、それにとらわれてしまい、そのシナリオに無いものには対応できないということが分かりました。

「リソース型」とは、「もし、社員の半分が来られなかったらどうするか」「広域停電になったらどうするか」「本社機能が駄目になったらどうするか」と、いわゆる「経営資源」と呼ばれるものにはいろいろなものがありますが、それらが無くなったらどうするのかを考えるものです。資源が失われた場合にどう事業を継続するのか、そのために何をすべきなのか、そういう考え方が必要だと感じています。シナリオ型では、過去の実績でしか話ができませんから。

震災の影響も考慮した、今後のビジネスへの取り組み

■先ほど新設のデータセンターのお話がありましたし、クラウドという形でのレンタルサーバ事業を立ち上げる話もありました。震災からの復興と進化に向けての取り組みということになるのでしょうか。

いえ、そればかりということではありません。データセンターについては、自前のものが1ヶ所、提携も含めると5ヶ所ほどでサービスしていますが、そのうち自前のものの一部が老朽化してきたこともあり、仙台の中心部に皆様が気軽に利用できて、省エネなどにも貢献できるデータセンターを新設しようと昨年から取り組んでいたところだったのです。

しかし期せずして地震があったため、より安全な場所を求めるお客様が増え、引き合いが多くなったのは事実です。地震のあった仙台にデータセンターを置くの?とおっしゃる人もいらっしゃいますが、別の見方をすれば、このデータセンターは今回の地震でさえも全く被害がなかったということが実績として言えるのです。

また、先ほどお話しした通り、ネットワークサービスとのシナジーを考え、今後精力的に進めたいと考えているのが、クラウド系のサービスです。クラウドについては後発ではありますが、後発には後発のメリットもあるのかなと思っています。他社のサービスを見て、その上で、地域密着型の特色も生かしつつ、差別化ができるからです。現に、IPv6の対応も最初からできるように準備を始めているところです。

■東京でも運用コミュニティではファシリティへの興味が高まってきています。

データセンターを設置している建物はハイブリッド制震構造であることに加え、電源供給システム、空調設備、セキュリティ設備など充実した最新の設備を整えています。

今回の震災で、各局の電源が落ちたことは本当に予想外でありました。また、地域社会から、ありとあらゆる燃料が無くなってしまったのもショックの大きなことでした。例えば、業務用として持っている車を、隣のビルの立体駐車場から出せず、またレンタカーは、貸し出しのシステムがダウンしているので借りられない、ということも起こりました。

■クラウドのサービス提供はこれからなのでしょうか。

はい。停電の際に困っただとか、津波の影響を考慮したデータの置き場所を検討しなくてはならないなどの問題意識から、現況、データセンターの利用に関しては好調な引き合いがありますが、クラウドサービスはこれからです。こういったクラウドサービスを利用していただくことにより、震災の際にも預けているから安心、と感じていただけるかもしれません。当社のネットワークサービスとデータセンター、さらにクラウドサービスを一体と考え、そのメリットを享受していただきたいと思います。

生活は何とかなっても、情報が遮断されることには耐えられない
~通信インフラ提供事業者としての責任とは~

■先ほどIPv6に取り組んだサービスの話を伺いましたが、貴社におけるIPv4在庫枯渇の影響や、またIPv6への取り組みについて教えてください。

インターネット接続サービスにおいて、IPv4アドレスは節約しながら使っており、今日明日にアドレスが無くなるまでには切羽詰まってはいないのが実情です。そうは言っても一方で、IPv6の設備対応も計画的に進めてきています。結果、一部を除いては、2011年6月1日からサービスを提供できたといういうことです。

まだIPv6のお客様は多くはありませんが、お客様から、入札の条件に含まれているなど、必要性についての話はいくつか聞いています。

■最後に、このコーナーにご登場いただいている皆様にお聞きしている質問をさせてください。貴社、もしくは常務にとって、「インターネットとは」一言で言うと何でしょうか?

まず、今回の震災のことが頭に浮かびますね。ビジネスにおけるインターネットの隆盛は言うまでもありませんが、電気もガスも水道も無い生活を強いられると、インターネットはそうした「ライフラインにも勝るとも劣らないインフラの一つである」と感じました。

これも個人的な話になりますが、我が子が仙台市内で離れて暮らしています。連絡も取れず、メールさえつながらない中で、耐え切れない焦りがありました。津波の被害を受けた人のことを考えれば、給水車から水をもらって、菓子パンを食べる生活にはある意味我慢できました。しかし、普段からテレビを見ながらでも携帯でネットにつないで分からないことを簡単に調べるような生活を送っていると、インターネットが無いのに大きな不安を覚え、そのうち、携帯のバッテリーも切れてしまうと、情報が遮断されることへの恐怖を痛いほど感じました。

また、先だって、昔住んでいた海辺の町を、仕事絡みの用で訪ねました。その時、人工物はもちろん樹木などもすべてが流され、普段海が見えるはずの無いところから海が見えました。「嘘でしょう」という感じです。言葉がありませんでした。しかしそれが「現実」なのです。今はこうした現実を前に、それに耐えられる街づくりのために、多くの方々が協力し、ご苦労をされていると思っています。

その中で、情報インフラを支えるという責任の重さ、我々はそういう重要なサービスを提供しているんだ、そんなことが今回の震災でひしひしと感じられた、そういうことです。

写真:オフィス受付にて
オフィス受付にて

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