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ニュースレターNo.50/2012年3月発行

[IP Meeting 2011 開催報告]
“人のパワーを集結するネットワーク” が、多様化する時代を支えるキーワード
~IP Meeting 2011 のパネルディスカッションから~

Internet Weekのプレナリとも言うべきIP Meetingでは、その年のインターネットの動向を総括するような趣向を凝らすべく、毎回企画しています。2011年は、未曾有の東日本大震災を経験し、被災地をはじめとする多く人々の心も経済も、大きな波を受けた1年となりました。しかしそのような中で、人々の強さとネットワークの大切さも、ますますクローズアップされた年となったのではないでしょうか。

そんな2011年を締めくくるIP Meeting 2011最後のセッションは、あらためてネットワークのありがたさと重要性に思いを馳せ、華やかに締めくくれるものにしたい、そんな風に考えていました。インターネットを語るのに、ジェンダーは特段関係はありませんが、しかし、背景も年齢も違えど「第一線で戦っている」ことが共通した女性達に勢ぞろいしてもらい、こんなにもキラキラとしたIP Meetingは、これが最初で最後かもしれない、と思ったセッションとなったように感じています。

この「とびらの向こう セッションII:世代毎の「インターネット」に対する期待を考える」と題したパネルディスカッションは、多様化が進む世界において、自分の知らない、世代を超えたネットワークのさまざまな使われ方を知って受け入れ、また自分にとってのネットワークを考察し、その上で今後どうすべきなのかを考えてもらおうと、企画しました。

10~20代代表として太田智美さんに、そして、「コンピューターおばあちゃんの会」代表でスーパーおばあちゃんの大川加世子さんにも、現在どんな風にネットワークの世界と向き合っているのかお話しいただきました。そして、NTT Com チェオ株式会社の小林洋子さんには、人の持つ知恵とパワーを、ネットワークを使って最大化する取り組みのお話をしていただきました。また、モデレータであるMozillaJapan代表理事の瀧田佐登子さんと慶應義塾大学の砂原秀樹先生に、ネットワーク業界のエンジニアが、これから心がけていくべきことをまとめていただきました。

ますます社会が多様化する中、「みんな違って、みんないい」を支えるための社会システムの維持は一筋縄ではいきません。システムの維持は淡々と行いたくても、マニュアル通りのありきたりの対応ばかりしていては、破綻してしまう時代にもなっています。しかし、一人一人が個人の最大限の力を発揮し、普遍的な知恵や経験を共有していけば、「みんな違って、みんないいを維持するための仕組みもきちんと作っていけるんだ!」、そんなことをこのパネルディスカッションは力強く教えてくれたように、私個人は感じました。

本稿では、このディスカッションのサマリーをお伝えします。

太田 智美
太田 智美

言葉にないものを伝えたい、共感してくれる人に伝えたい

まずは自己紹介させてください。1986年の寅年生まれで、生まれも育ちも東京です。国立音楽大学で、ピアノや民族音楽、合唱、「みんなのうた」の研究、オペラをしたりしていました。卒業後に、音楽を違う世界からも見てみたいと思い、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)に入学し、親子で学べる「琉神マブヤー」のCGMサイトや、かわいいツイッタークライアント“ふ*らいふ”、ソーシャルネットワークを用いた音楽生成アルゴリズム“おところりん”を作ったりしていました。現在は、とあるWeb系会社ではみ出し者として生きています。

はみ出し者の性格を語彙で現すことができなかったので、音楽にしてみました。(ここで音楽が流れる)

私はこのように、伝えたい気持ちをなかなか言葉で上手に言い表せなくて、「そんな感じ」「あんな感じ」「こんな感じ」といった表現を多用します。そして、このように言い表せない感覚を大切にしています。日本語の比喩表現に通じるものがあるのではないかとも感じています。

文字や言葉は苦手ですが、私の最大の秘密兵器は「絵文字」です。コミュニケーションはメールが多いですが、最近はスマホが登場して、今回の登壇の内容についても、TwitterやFacebookで相談しました。特にスマホは秘密兵器の宝庫であり、「絵文字5000」「Girl's顔文字」「特殊顔文字帳」「手書きカメラ」「DECOPIC」など、ワクワクするアプリケーションがたくさんあります。これらは全部無料です。例えば、私はそれをこんな風に使っています。食べたパフェを自慢したかった時に、「DECOPIC」を使ってキラキラでかわいい感じにしました。それによって伝えたかったことは、「パフェ食べたよ」ということだけではなく、「パフェ食べたよ、このパフェ、かわいいでしょ?」というところまでを伝えたかったんです。「DECOPIC」によって、このプラスアルファの感情を伝えることができました。こういう体験を大切にしています。

 今までは「特定の人にこれを伝えたい」と思っていましたが、最近は「自分が今行っていることに興味・関心を持ってくれる人に伝わってくれればいい」と感じるようになりました。こんなふうに、伝えたい時間・場所・人も変わってきています。こうした変化に伴い、TwitterやFacebookを活用するようになりました。しかし、TwitterやFacebookはテキストベースの会話で、私にとって一番大切な「かわいい?」がすごく少ない世界だったんです。そこで、かわいいTwitterクライアント“ふ*らいふ”をみんなで作ることにしました。これはどういうものかと言うと、まずマイガーデンでつぶやくと、芽が出るんですね。もう1回つぶやくとちょっと成長して、さらにつぶやくとつぼみになって花が開花する。これを頑張って続けていくと、キラキラしたガーデンが育つよ、というアプリケーションです。育てた花をブーケとして贈ることもでき、お友だちと励まし合えたりもするんです。

ユーザーとして困っていることは、日本では、WiFiがどこでもつながるわけではないことですね。韓国に旅行した時、どこでもWiFiがつながりました。実は東日本大震災の際には韓国にいたのですが、日本の情報を知るのに大活躍したのもTwitterでした。どこでもつながるようになって欲しいな、と思いますね。

将来のインターネットへの期待は、いずれ、分子のようなものにまでインターネットにつながって欲しいということです。例を言うと、粘土に「ピアノになれ!」と命ずると、その粘土の分子がインターネットにつながってピアノになる!?という世界ですね。夢物語かもしれませんが、そういう時代がやってくるとうれしいなと思っています。

大川 加世子
大川 加世子
(コンピューターおばあちゃんの会代表)

ネットワークを通じて、人間とはなんと優しいのかを感じる

コンピュータおばあちゃんの会の大川でございます。どうやったら私達の世界を理解してもらえるか不安ですが、おばあちゃんの世代に入っていきます。

30年以上前のNHK番組「みんなのうた」での「コンピューターおばあちゃん」というアニメを、ご記憶でしょうか?明治生まれの白髪頭を後ろにキュッと引っ詰めて、最新のコンピュータを叩きまくるというそのアニメに、すっかり虜になりました。絶対にこれを実現しようと決め、それから15年後、この会を立ち上げました。当時は誰もがパソコンは会社や仕事のためのものと思っていた時代です。しかし私はパソコンのもう一つの大切な役目を見つけたと考えておりました。それはこれから増えていくだろう高齢者が、孤立せずに、仲間意識を持って生きるためには、パソコンがなくてはならない時代が必ず来るということです。高齢者こそ、障害者こそ、この恩恵を受けて良いのだと思いました。おばあちゃんがパソコンなんてするわけない、という予想をよそに、北海道から沖縄の宮古島まで、それから外国で年をとられた高齢者達が、待ちに待った全国ネットがつながるのにあまり時間はかかりませんでした。

発会初期のことです。一人のおばあちゃんが喜寿(77歳)のお祝いに、「パ・ソ・コ・ン♪を買ってもらっちゃったの」と遊びに来ました。「何でもやりたいことから入っていく」というのが私達の会の方針で、そのおばあちゃんはパソコンで自分の顔の絵を描き始めました。それには目の下に大きな大きな頬が半分隠れる位の涙のしずくがあります。不思議な絵を描く方だなあと思いました。当時はフロッピー時代、途中まで描いて保存し、次回にまた続きを描く、という繰り返しをしていたおばあちゃんに「次回いついらっしゃいますか」と聞きましたら、「私は明日手術します。悪いものが喉にできていて。子供達も皆、外国から帰ってきています。今日まで私がこんなに元気に生きて来られたのは、このパソコンで絵を描く楽しさのおかげでした」とおっしゃいました。本当にびっくりしました。彼女はいつもはしゃぎながら絵を描いていたからです。あの不思議なしずくの意味を思うと、言葉はすぐには出ませんでしたが、やっと「絵を早く完成させて見せてね」と送り出しました。そして、その絵は、完成することはありませんでした。

また80歳の男性が入院しました。毎日、250人~300人の方々が加入するメーリングリストのメール交流は、2ヶ月ほどお休みです。退院の日、誰もいない家に帰り着き、パソコンを開くと、待ってましたとばかり、会員からのお帰りなさいメールの嵐でした。「良かったね、待ってましたよ」「大丈夫、元気?」、涙が止まらなかったと、彼は後で言いました。また、九州の93歳男性からの「僕の妻はアルツハイマーです。下の世話も僕がしています。初めはゴム手袋をしていましたが、今はもう何とも思わなくなりました」というメールには、「うちはこうやって過ごしました」という、たくさんの経験者達の暖かい声の掛け合いがありました。孤独の寂しさをこんなにも暖かく包んでくれるパソコン、人間とはなんと優しいのか、晩年の心に沁みました。高齢者には精神的な癒やしがないと生きていくのに辛いところがあります。

楽しいこともたくさんあります。東北地震での津波の2週間後、「福島の娘に孫が生まれたの」と大阪のおばあちゃんからの明るいニュースでした。被災地からは、今も毎日、復興の兆しをスナップ写真で送ってくれる会員がいます。2月頃に北海道からは流氷着岸の写真入りメールが入ると、同じ日に沖縄からは満開のさくらの写真つきで「もう春」とのメールがきます。日本列島は長いです。

アクティブシニアはメール交換の楽しさに、首までどころか鼻の下まで浸かり、今や溺死寸前です。会話は栄養素、酸素であり、朝起きると、誰もがパジャマのままでまずパソコンの電源です。パソコンに寄り添い、パートナーとして生きていく時代です。「華麗に加齢」、働き盛りの会員の息子さん達からも、「母にこんなにキラキラした晩年があったとは知りませんでした」とのメールをいただくことがあります。私達にはまだ、ワンモアステージ残っています。高齢者のIT普及にここまでご尽力くださいました皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

小林 洋子
小林 洋子
(NTT Com チェオ株式会社)

サポートもソーシャルメディアで提供する時代へ

別世界から来たような太田さんと、スーパーおばあちゃんの大川さんのお話を聞いてしみじみとしてしまいました。インターネットを始めた当初、今のように老若男女すべての人にインターネットが使われる世の中を夢見ていましたが、それが本当に実現できるとは思っていませんでした。年代としては、太田さんからみて、大川さんが祖母世代だとすると、私は母の年代になるのでしょうか。私がインターネットを始めた時に、いつかこういう風にインターネットが使われる時代がくればいいなぁと、ずっと思っていました。

私は1994年からインターネットに携わっています。1996年に父が死に、OCNが生まれました。当時「これからは電子メールの時代です」と説いて回りましたが、高名な先生にも、「日本は大部屋文化なのだから、個室文化のアメリカと違い、電子メールがビジネスで使われるわけがない、まして個人の生活に浸透するわけがない、考えてもみなさい、主婦に電子メールが使えますか」と言われたことがありました。今は隔世の感があります。

本日は、サポートの話をさせてください。インターネットユーザーが多様化し、問い合わせ対応がとても難しくなっています。OCNは応答率98%以上が目標で、仙台に数百人規模のテクニカルサポートセンターがあります。しかし、センターのみでの運営だと、800万を越える会員からの問い合わせに応答できず、パンクします。そのため、全国各地に、インターネット検定「ドットコムマスター」シングルスター以上に合格された在宅就業の方1,000名と、駆けつけサポートをする方が1,000名おり、彼らをCAVA(キャバ:.com Advisor & Valuable Agent)と呼んでいます。CAVAさんには、通常の在宅勤務と違い、働く時間のノルマがありません。1日1時間でも数時間でも構いません。毎日働いでも良いし週に1日でも構いません。こうした仕組みにより、子育てや介護中の主婦もリタイアした方も障がいを持つ方も自分の都合に合わせて働けます。

仙台のテクニカルサポートセンターが東日本大震災で被災し、退去命令が出て、機能停止してしまった時、普通なら応答率ゼロになってしまうのですが、携帯メールの緊急連絡網で、全国のCAVAさんに東京からメールを送りました。「非常事態です!仙台センターは被災し機能停止しました。西日本のCAVAの皆さんが頼りです。どうかログインしてください」と。1時間後には、応答率が92.3%まで回復しました。皆さんが家の仕事やそれぞれの用事を置いて対応してくれたのかなと想像したら涙が出ました。在宅就業という働き方は、インターネットの恩恵がなければできなかったものです。

今、ソーシャルCRM(Customer Relationship Management)に関心があり、これを使ってサポートをやっていけたらいいなと考えています。これは、お客様同士で教えあう、「Yahoo! 知恵袋」や「教えて! goo」のような概念と似ていますが、モデレータがいることが違いです。インターネット検定の受験について語り合う「みんなのドットコムマスター広場」を昨年開設して、トライアルとしてソーシャルCRMを始めています。「企業のマーケティングはトリプルメディア(自社メディア・マスメディア・ソーシャルメディア)」と言われますが、サポートについても、ソーシャルメディアを積極的に使ってやっていく時代ではないでしょうか。いろいろな方々がインターネットを利用し、必要なサポートもすべてその上で提供できる仕組みを構築していきたいですね。

私の年代の人はインターネットにロマンを感じています。ネットがまるでなかった時代から、ネットが生まれ、爆発的に拡がっていく時代を経験したため、「インターネットが名もなき個人に力を与えた」ものすごい革命を経験したという実感があるんですね。これからは、「匿名ではなく、顔の見えるネットワーク」がもっと必要だと考えています。そういう意味でFacebookはSNSの中で一番好きなツールです。さまざまなSNSを使って利用者発のシステムや本当に利用者の身になったサポートを実現するための仕組みを充実させていきたいと思っています。

瀧田 佐登子
瀧田 佐登子
(一般社団法人 Mozilla Japan)

多様化に対応するには、ユーザーが設計し、エンジニアが実装する

日本では、インターネットの人口カバー率が80%と言われており、使う人も多様化し、下は物心つく3~4歳位から、何かしらのデバイスを使っています。それを念頭にソフトウェアの観点から考えると、今までのように「ユニバーサルにデザインする」ことは、もう難しいのではないでしょうか。これからは多様性に対応するべく、2バージョン作る、もしくは、本当に共通して動くプラットフォームを作るということを、アプリケーションやサービスの開発者は考えないといけないのでしょう。ネットワークの世界にも同じことが言えるかもしれません。

インターネットができ、世代を経て今に至っていますが、皆さんのお話を聞いて、ライフスタイルがすごく変わったと感じました。リアルとバーチャルの境界が薄くなっています。自動車を見てもわかります。何年か前であったら、人の命に関わる車を、スマートフォンでコントロールしようなどという発想はあり得ませんでした。そんなことが、今や平気でできる時代になったのは、ネットやネット時代の情報が、そうした土壌を育ててくれたことは間違いありません。

そういう観点で、ユーザー側から見ると、「ブラウザ」という語も死語になりつつあるように感じています。ブラウザというものは、従来リアルな世界とバーチャルな世界との中間を取り持つような存在と位置づけられていました。しかし、その垣根がどんどん低くなっています。近い将来、人が自分で何かをやらなくても、別の世界に入り込んでいる、という時代がたぶん来るだろうと思っています。そうなると、OSがどうとか、ブラウザがどうと言ったら負けで、すべてはもう空気のような存在、つまりブラウザも使っているか使っていないかわからないような存在になっていくでしょう。

本日いただいたようなお話やご意見はとても重要です。しかし、みんなが生き生き活動できる世界を実現するには、エンジニアが設計していてはダメです。これからのモノづくりは、ユーザーが「これでは使いにくいから、こうしなければダメなんだ」と強く主張し、ここにいるようなエンジニア達が受け入れてやる体制が必要です。そういう体制はできつつあると思います。我々がやらなくてはいけないこと、それが山積みとなってはいますが、それをここにいる皆さんで一つずつこなして、これから日本も元気を出して、ネットの中で頑張っていきたいなと思います。

砂原 秀樹
砂原 秀樹
(慶應義塾大学/WIDEプロジェクト)

50億人を支えるネットワークを作るには、ますます“人”の力を集結することが重要

とびらの向こうを考えるにあたり感じるべきことは、インターネットがまだこれからも爆発的に広がるということです。アジアでの利用率はすさまじく伸びていますが、南米とアフリカを加えるとまだ広がります。現在のインターネット人口20億人を支えるホスト数は、2011年7月の統計で8億5千万台でした。しかし、あと10年後には、50億人を支えなくてはいけないという一つのチャレンジを抱えています。また、スマホ・タブレットは言うに及ばず、物がつながり、センサーがつながる、IoTやM2Mと呼ばれるような世界がどんどん増えています。その上で、YouTubeを超え、3D、AR(拡張現実)/VR(仮想現実)のような話が実現していくと、どういう事業者であっても、もうデータ量的にも耐えられなくなってくるでしょう。

その中で、電波の世界はTV放送のデジタル化等に伴う周波数の再編により、100年に一度のチャンスが訪れていて、多くの人がニーズを表明しています。自動車業界はぶつからない技術のために使いたいと言っているし、もちろん携帯電話事業者も要求しています。その中で、どうもインターネット事業者は正しく声を上げていないのではないでしょうか。こういうことを言うと怒られることも多いのですが、日本は、震災の時をとってみても、電波の共聴や共用が下手だと思います。同じ電波をいかに重ね合わせて有効に使えるかという技術は大分できてきているはずですから、きちんと、こうやって使いたいと言っていかないといけないのではないでしょうか。

今回、「人が重要」ということ、つまりどんなシステムを作っても、「その裏には人が必ずいる」ということを、今回のパネルディスカッションで感じていただけたのではないかと思っています。若者世代も、おばあちゃん世代も、インターネットを産み出した世代も、どの世代も決して機械でも何でもありません。インターネットのネガティブな利用のされ方もクローズアップされてきましたが、インターネットは元来、人をサポートする技術・人と人をつなぐ技術として形作られてきました。震災時には役に立つと言われ、そのことも大きな力になるでしょう。今後、例えモノがつながったとしても、それはすべて人のためです。

これからも解かなくてはいけないことがあって大変でありますが、やり続けることが重要です。大川さんのように経験を経られた方の知恵をたくさんいただき、10年後には50億の人をサポートできるように頑張っていきましょう。我々はこうした要求を受け止める仕事に就いているのですから、これを皆さんの課題として受け止めていただきたいと思います。

写真:IP Meeting 2011パネルディスカッション
IP Meeting 2011パネルディスカッションの様子

(注:各講演者のコメントの内容は、当日の話をもとに編集を行ったものです。また、各講演者のタイトルは、開催当時のものです。)

(JPNIC インターネット推進部 根津智子)

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