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ニュースレターNo.52/2012年11月発行


研究ネットワーク連合委員会(JCRN)からJNIC設立へ

統計数理研究所
丸山 直昌

前身のJNICも含め、JPNICに20年以上にわたって関わった私は、2012年6月15日の総会での理事任期切れをもってJPNICを去ることにしました。元々数学を専門とする私がこのように長くJPNICと関わった発端は1990年4月にあります。

1990年春、岡山理科大学での日本数学会の会期中、私は当時の数学会会長、服部晶夫東大教授に呼び止められました。「丸山君、ちょっとこれやってくれないか?」と言って手渡されたのが「研究ネットワーク推進のための連絡・調整機関設置に関する準備会について(ご都合お尋ね)」と題する文書でした。「情報処理学会会長 三浦武雄」名で「各学協会長殿」に宛てて出されたその文書の趣旨は、「研究ネットワーク推進を目的とした連絡・調整機関を構成するための準備会を開催したいので、賛同して欲しい」というものでした。こうして私は「研究ネットワーク推進準備会」に出ることになりました。3回の会合の結果、「『研究ネットワーク連合委員会』へのご参加ならびに連絡委員推薦のお願い」と題する文書が作られ、「平成2年8月31日」の日付で情報処理学会から「各学会・協会長殿」に宛てて出されました。私はその「連絡委員」にも日本数学会から任命されました。

この研究ネットワーク連合委員会(JCRN:Japan Committee for Research Networks)は、1990年10月16日に第1回会合を開き、1995年5月23日まで合計8回の総会を開催しました。その間2回の「JCRNセミナー」を開催し、「日本アカデミック・ネットワーク・ニュース※1」も発行しました。私は一時かなりこの活動に肩入れしましたが、しかし第6回総会(1992年10月20日)まででした。1993年3月29日付けで私は日本数学会会長にJCRNの日本数学会代表委員の辞任を申し出ました。当初JCRNの下部組織として作られた「JNIC(日本ネットワーク情報センター)」が、この時期、会員制組織「JPNIC」に改組されることになり、私はJPNICに貢献する道を選んだのです。

JCRNの誕生から活動休止までの歴史は、JCRN幹事会主査を務めた小柳義夫氏が第2回JCRNセミナーの予稿集に書いた「研究ネットワーク連合委員会(JCRN)の歩み※2」という文章に詳しく書かれています。重複を避け、ここではJCRNに対する私の評価を書きたいと思います。

インターネットの発展に必要な種々の課題を、情報処理学会よりも広いコミュニティーの参加によって解決しよう、というのがJCRN設立の意図だったのでしょう。解決すべき課題はたくさんありました。ドメイン名やIPアドレスなどいわゆる「資源割り当て」の問題、通信回線確保の問題、相互接続の問題、国際間接続の問題などです。日本国内におけるIPネットワークの草分けであるJAIN (Japan Academic Inter-university Network)、WIDE (WIDEプロジェクト)、TISN (Todai International ScienceNetwork)をはじめとする諸団体の関係者にとっては、これらは皆重要な問題だったのでしょう。実際JCRNでは資源割り当て以外の課題も取り上げられました。しかし私はそれらの問題には関わっていなかったし、私が貢献できることはそこにはありませんでした。また、資源割り当ての財政基盤作りは重要で困難な問題に思え、それに私は少し貢献してみようと思いました。

JNICの生みの親とも言うべき平原正樹氏(故人)もJCRNに参加していました。彼はJAINを背負っている立場でしたが、資源割り当てのための組織作りに腐心していました。JCRN内での議論を経て、JNICが1991年12月にJCRNの下部組織として発足し、それまでjunet-adminと呼ばれる人達が担っていたJPドメイン名割り当てを引き継ぎました。その過程でJCRNによる権威付けは有効に作用したと言えるでしょう。ところが、「JCRN参加団体には金銭的な負担は求めない」という方針が宣言され、JCRNの枠組みの中での財政基盤確立は不可能になりました。これには平原氏も、協力者の高田広章氏も、そして私もがっかりしました。そこで、JNICのJCRNからの独立化とJNICを再編して会費制の組織にする案を練り上げ、1993年4月のJPNIC設立に漕ぎ着けました。

JPNIC設立に際しては商用のISPが1会員入っていましたし、1ヶ月もしないうちにもう1会員増えました。商用のISPが主流となる時代が遠からず来て、回線確保や相互接続の問題はビジネス上の問題として扱われるようになり、「研究ネットワーク」を標榜するJCRNがそれらの分野で果たす役割は無くなる、と私は考えていました※3。JPNICはその後も「非営利会員の認定」をJCRNに委任していたので、引き続きJCRNに世話になったことは事実ですが、私の評価では、JNICを船出させたことこそがJCRNの最大の成果であって、それ以外は比較的小さな成果でした。しかし、平原氏を含めて多くのJCRN関係者は当時私のように簡単には割り切れなかったようです。JCRNの功績をどう評価するか、他の人々の意見を聞いてみたい、と最近思うようになっています。


※1 ftp://ftp.nic.ad.jp/jpnic/related/jcrn/
※2 この文書を現在インターネット上で探すことは困難かもしれません。JPNICの歴史編纂事業によって掘り起こされることを期待します。
※3 私はインターネットの「商用化」を初めから肯定的に考えていましたが、「丸山は商用化に否定的」という誤解がかなりあったようです。実際、JPNICの営利会員第一号のIIJの会社設立の話を皆知っていましたが、私には誰も教えてくれませんでした。

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