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ニュースレターNo.57/2014年8月発行

家庭にインターネットを持ち込もう! 〜 パソコン通信とインターネットの相互接続実験 〜

ニフティ株式会社
前島 一就

「パソコン通信」とは何だったか

「パソコン通信」とは、日本国内では1980年代半ばから利用が始まったオンラインサービスです。主に2,400〜9,600bpsのアナログモデムを使った電話回線や、64kbpsのISDN経由でパソコン通信事業者のデータセンターに接続し、メールや掲示板、チャットなどのコミュニケーションサービスや、ニュースやデータベース検索サービスなどの情報提供サービスといった、当時としては充実したサービスメニューを提供していました。利用するには、当時まだ高価であったパソコンやワープロ専用機が必要でした。

当社では、1987年より米国CompuServe社よりライセンスを受け、パソコン通信サービス「NIFTY-Serve」を開始しました。利用開始には、パソコンやワープロ、モデムの商品に同梱されていたり、書店や家電量販店で販売されていたパソコン通信の入会キットが用いられました。お客様は、そこに書かれた説明に沿って、オンラインでクレジットカードを登録することで、その場ですぐに利用を申し込むことができました。これがオンラインサインアップという仕組みであり、当時は画期的な仕組みとして受け入れられました。

そして肝心のサービス面はと言うと、パソコン通信において最もお客様に人気が高く、利用が多かったサービスが、掲示板(BBS)や会議室、チャットといったお客様同士のコミュニケーションサービスであり、当社のNIFTY-Serveでは「FORUM(フォーラム)」という名称のサービスでした。そこに、ある特定分野のテーマに沿って、掲示板、会議室、チャット、データライブラリ(ファイル共有)が用意され、そのコミュニティをSYSOP(システムオペレータ、略称「シスオペ」)と呼ばれる管理者がかじ取りしていたものです。

特に、NIFTY-Serveは、パソコン等のIT系情報、さまざまな趣味の話題を充実させることで、極めて趣味に特化した話題に詳しい、ある意味「オタクな」方々を取り込んでサービスを使っていただくようにし、そのフィードバックをもとに、その後に一般のご家庭においてITスキルや年齢に関係無く、簡単に使ってもらえるような仕組みを整備して、普及させようというのが狙いでした。これは見事に成功し、お得な楽しい情報がパソコン通信の中にあること、パソコン/ワープロを買いさえすればその便利な情報が手に入るということが伝わり、「NIFTY-Serve」は、家族・知人・会社のみんなで使えるプラットフォームになりました。

もう一つ、PDS(パブリックドメインソフトウェア)や、シェアウェアの存在も重要です。パソコン通信には、お客様自らが趣味で開発したソフトウェアを、パソコン通信内で無料配布もしくは課金できる仕組みがあり、これによりパソコン通信発の大ヒットソフトウェアが生まれ、それだけで生計を立てられるお客様が現れたほどでした。

つまり、パソコン通信で情報を発信することや、お客様同士のコミュニケーションの場が新しい市場になり得ること、そして安全・信頼性さえ確保できればお客様はお金を払ってくれる、課金・流通の重要なビジネスプラットフォームになり得るという、ネットビジネスの原型が生まれていたのです。当時のパソコン通信の利用者は、200万人程度であったと思われます。

インターネットとの相互接続実験開始

1992年当時、WIDEプロジェクトボードメンバーのお一人だった吉村伸氏が、当社に声をかけてくださったのがきっかけで、インターネットとの相互接続実験を始めることになりました。吉村氏とは、NIFTY-ServeにてUNIX OSの情報交換を行うコミュニティである「UNIXフォーラム(略称:FUNIX)」を運営いただいていたご縁がありました。吉村氏から、インターネットが今後間違いなくインフラへ成長するという確信と、その発展に向けて、日本ではすでに普及が進んだパソコン通信とインターネットの連携が不可欠であるとの強い意志を受け取り、その情熱に当社経営陣が感銘し、賛同したのです。

当社としても、「パソコン通信」のお客様に、インターネットというインフラ上でさらに便利に快適にネットワークサービスを利用いただける未来を提供したいと考えました。当時、パソコン通信の回線環境はアナログ電話回線網とISDNが中心でしたが、お客様はさらなる利便性を求めており、高速・大容量と常時接続環境が熱望されていました。そこで当社は、「家庭にインターネットを持ち込もう!」という、誠にシンプルな目標を掲げて奮起したのです。

そして1992年9月、WIDEインターネットとパソコン通信の相互接続実験が本格的にスタートします。日本電気株式会社(NEC)が運営していたPC-VANをはじめとする、複数のパソコン通信事業者も加わり、産学一体のプロジェクトが開始されたわけですが、パソコン通信事業者の中には、インターネットとの相互接続に否定的な意見もありました。

これは、当時のインターネットは、商用ネットワークを運営していたパソコン通信事業者の立場から見ればとても不安定で信頼性がなく、運営責任が不明確に見える面があり、全般的に無償利用を前提に考えられているものが多かったことから、接続料金からの課金を主たる事業モデルにしているパソコン通信とつながっても、ビジネスになりにくいのではないか、という認識から来ていたと思います。また、当時はまだ電気通信事業での法制度が追いついておらず、インターネットの商用利用が許可されていない状況だったことも事実です。今となっては信じられない話ですが、当時の通信事業者が考えるインターネットへの印象は「技術的に不安定」「セキュリティが不安」「儲からない」というものでした。インターネットとの相互接続自体が、パソコン通信事業者の業務や事業への妨げになるかもしれないという見方もあり、パソコン通信事業者の中でも会員数、サービスの充実度において圧倒的であり、業界をリードする立場にあったNIFTY-Serveが先陣を切って取り組むことを、危惧する事業者もいらっしゃいました。

そのような中、奮起して開始したはずの当社NIFTY-Serveは早速ピンチを迎えます。

まず、国内では旧郵政省/通商産業省の推進により開放型システム間相互接続(OSI:Open Systems Interconnection)の概念によるMHS(Message Handling System)(X.400メールシステム)の商用化が始まっていました。これは、いわゆる国策に近いもので、省庁主導のもと各ITメーカーが協力して、接続実験を実施していました。MHSは、実に大規模で重いものであり、実装は気が遠くなるほど複雑でした。

当社は、吉村氏にインターネットの相互接続実験のお話をいただく前から、約2年を費やしてMHSシステムを作っていましたし、その後のFTAM(File Transfer Access and Management)の準備もありました。重いながらもMHSは稼働できており、国内外との実験を済ませていましたので、続けなければなりません。つまり、タイミングが悪いことに、X.400に加えて、インターネット接続にも着手することになってしまい、「しまった!」という状況でした。

案の定、さらなる外部接続システムの構築を行うのは容易ではなく、X.25ネットワークとIPネットワークの混在により、パケット交換機やルータ/スイッチの増設など、日に日にセンター機器が大規模化、ネットワーク構築は複雑を極めていました。

さて、当社のインターネット相互接続実験は、「インターネットとパソコン通信のメール交換」と「インターネットからのパソコン通信の利用」という、二つを実現させることが課題でした。

まず、「インターネットとパソコン通信のメール交換」です。実験は、Sun Microsystems社のSPARCstation 2を使ったルータにて、NTTの9,600bpsの専用回線を慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスまで引くところからスタートし、SMTP(Simple Mail Transfer Protocol)/sendmailから当社独自のメールシステムへのゲートウェイシステムを、富士通研究所の協力を得て構築しました。

しかし、SunOSが頻繁にcoreを吐きダウンしますし、ゲートウェイシステムはトラフィックを捌けずにメールが滞留します。ほぼ毎日のようにデバッグとカーネルチューニングを繰り返す日々が3ヶ月以上続き、「いったい、何が今後の主流技術になるのか?」「こうなったら、全部やってやろうか?」と、ほぼヤケになりながら取り組んでいました。そうしている間に、実験開始当初は慶應湘南藤沢キャンパス、WIDE、JPNIC、JUNETの4ドメインで1万通/月だった送受信数も、国内ドメイン全域に拡大後の1993年 9月時点では、約13万通/月となっていました。

次に「インターネットからのパソコン通信の利用」です。これは、telnetを通してパソコン通信のサービスを利用する試みでした。元々、パソコン通信のユーザーインタフェースはテキスト形式でしたので親和性が高いと考えていましたが、最も頭を抱えたのがやはり負荷問題でした。実験開始当初、同時に15接続という規模からスタートしましたが、5ヶ月ほどでこれが1,000接続に達しました。パソコン通信の同時接続数は約10,000でしたので、その後の増加に対応するために抜本的にシステムアーキテクチャを刷新しました。

技術的な問題を解決していく傍ら、もう一つ重要な課題にも直面していました。それは、お客様へのサポート体制です。それまでのパソコン通信にインターネットが加われば、お問い合わせや必要とされる問題解決の範囲が拡大することは目に見えていました。今後、実験から商用サービスに移行するべきか否か、そもそもできるものか?といった議論が交わされ、インターネットに特化したタスクチームを新たに組織化し、普及に備える方針になりました。このように、商用サービスとして提供する際の問題解決や知見の蓄積などが得られたことも、相互接続実験での貴重な成果でした。

WIDEインターネットご関係者ならびに接続検証にご協力いただいたすべての皆様のご尽力に感謝いたします。

スクラップ・アンド・ビルド

その後、「NIFTY-Serve」は、「@nifty」というインターネット接続サービスに変わり、それに伴って、パソコン通信をご利用いただいていたお客様も、インターネット環境に移っていかれました。そして現在では、NIFTY-Serveをはじめとするパソコン通信はほぼ無くなってしまいましたが、それはよく言われるような、インターネットに破れたとか駆逐されたという、ネガティブなことではないと思っています。

確かに、「パソコン通信時代は良かった……」というお声をいまだにいただきます。誠にうれしい限りです。私自身、得たものと無くしたものがあることを痛感します。しかし、パソコン通信の時代から、お客様が求めているものは変わっていないように思えます。日常生活に必要なほとんどの情報はインターネットに接続して手に入れ、瞬く間に普及したオンライン決済で毎日のように音楽や本はインターネットで購入し、お友達や家族とどこに居てもすぐにつながることができます。FacebookやTwitter、各種SNS等、人と人とのコミュニケーションを充実させるものが大ヒットしていて、コミュニケーションサービスがビジネスに莫大な成功をもたらしています。

さらに、家庭へのネットの入口として、ケーブルだけではなくワイヤレスも選択肢に登場し、私たちは自分のポケットにインターネット端末を持つまでになりました。もし、パソコン通信事業者が自らのビジネスに固執して独自路線を貫いていたら、今があったでしょうか?おそらく、電気通信の技術は当然のことながら進歩し、その恩恵を受けていたでしょう。しかし、それはひどくゆっくりで、そして海外からも立ち遅れたものにとどまっていたかもしれません。

パソコン通信を開始する際、有識者の間でも「日本人は、ネットコミュニティに向かない人種だろう。ネットビジネスは日本の社会には根付かない」という意見があったと聞きますが、日本でのブログの投稿記事数や、Twitterのツイート数は世界有数だそうです。今となってはまったくの見当違いであったと言うのは簡単ですが、当時の技術や世相から見れば常識的な判断であったのでしょう。その常識を覆すのに、技術者たちの日々の研究開発と、既存の障壁を越えようとした彼らの技術者スピリッツが貢献したことは間違いありません。

最後に。私たちの生活はどんどん便利になっていますが、それでも「今が最高!大満足!」と本気でおっしゃる方はいらっしゃらないと思います。「まだまだ不便でどうにかならないか?」と思うことはないでしょうか?そのような「もっと」という気持ちがある限りまた現れるであろう、「インターネットが起こす『スクラップ・アンド・ビルド』」に期待せずにいられません。


【参考】WIDEプロジェクト 1992年研究報告書 第5部「パソコン通信との相互接続実験」

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