メインコンテンツへジャンプする

JPNICはインターネットの円滑な運営を支えるための組織です

ロゴ:JPNIC

WHOIS 検索 サイト内検索 WHOISとは? JPNIC WHOIS Gateway
WHOIS検索 サイト内検索

ニュースレターNo.64/2016年11月発行

OCNエコノミーの誕生による常時接続サービスの実現をめざして

日本コムシス株式会社
ITビジネス事業本部 営業部 部門長
岡田 雅也

OCN (Open Computer Network)誕生に至るまでには、二つのことがあった。一つは商用インターネットの検討。当時、電気通信事業は第一種、第二種通信事業と区分されていたため、商用インターネットは日本電信電話株式会社(NTT)本体では難しいとの判断があり、パソコン通信を二種事業で取り組んでいる株式会社NTTPCコミュニケーションズで、InfoSphereとして1995年に開始された。

もう一つは、マルチメディア通信共同利用実験。この共同利用実験は、NTTの夢であるデジタル化、光化をベースに、音声、データ、映像と、フルサービス化をめざしたものである。以前、1984年に三鷹・武蔵野地区INSモデルシステム実験を行い、ISDNサービスの実現につながったが、その時はまだ電話&FAX、TV会議が中心であった。その後、1990年に次世代新高度情報通信サービスVI&P(Visual,Intelligent&Personal communications service) 構想を発表。B-ISDN (Broadband ISDN)の実現に向けたものだった。

ようやく1994年に、マルチメディア社会に向けて、高速・広帯域通信網の構成やアプリケーション開発を目的に、さまざまな業種の企業や大学、研究機関など127グループと共同で実験が開始された。この実験網は、B-ISDNを意識したATM通信技術を用い、150Mbpsインタフェース回線をお客様に提供。一方、世の中ではWebブラウザの普及が始まっていたため、IPパケット通信網も必要と、急遽実験メニューに追加された。この時に、ドメイン名、IPアドレスについて、後藤滋樹先生(当時NTTソフトウェア研究所、現JPNIC理事長)のところに足を運び、JPNICとの接点ができOCNの原点が始まる。同時に、Internet 1996 World Expositionに参画することになり、慶應義塾大学の村井純先生をはじめ、WIDEの皆さんとの協力により、OCNの原型モデルとなる形でインターネット接続を構成できた。

インターネット1996ワールドエキスポジション
http://iwparchives.jp/files/pdf/iwp1997/iwp1997-ch01-11-p048.pdf

実験終了後に商用サービスの検討が始まり、ATM網かIP網かの議論になったが、最終的にIP網を採用することになる。サービスコンセプトは、料金は定額制で常時接続の「情報コンセント」の実現であった。当時の常時接続インターネットは、64kbpsでも月額約20〜50万円と高価。その理由に、アクセス専用線が高かったことが挙げられる。月額数万円を目標にネットワーク設備を検討し、アクセス回線の128kbps専用線が高いので、新たなアクセス設備をNTTとして開発。加入者ルータを電話局に設置し、直接新アクセス設備を収容できるようにした。加入者ルータでは、パケット効率を考え中継回線を集線。中継128kbpsフレームリレー回線を最大24回線まで収容する構成で、中継網のコストも徹底的に下げた。イメージは企業の建物内にあるルータを電話局に引き上げて、複数のユーザーでシェアする形である。

これにより、価格は約1/10になり、128kbps接続月額約4万円で、SOHO向けに定額常時接続サービスとして「OCNエコノミー」が登場することになる。その一方で、個人ユーザー向けにも、3分10円で電話をかけられるMA (Message Area)エリアにルータを設置し、同じように集線をかけるネットワークにしてダイヤルアップ接続もサービス化した。これで、SOHOおよび個人ユーザーにとって、使いやすいマルチメディア通信サービスを提供できたことになる。

共同利用実験の通信状況や企業LANの利用量を考慮し大幅に集線したことと、企業と個人の利用状況により昼と夜との効率性も考慮した設計ではあったが、NTTのカルチャーにないベストエフォートサービスということ、また、統計的な効果を勘案しても、ユーザーの利用実態はさまざまと想定され、品質管理担当を設置し、ヘビーユーザー対策や利用状況の公開にも取り組むことになる。一方、大規模な網構成のため、経験の少ないエンジニア育成には、株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)さんにも多大なるご支援をいただいた。

利用実験網で提供したATM網も、企業向けにメニュー化され、OCNバックボーン回線として使われることになる。第二種通信事業者との協議も時間をかけて対応させていただき、1996年12月に郵政省(現総務省)から条件付きで認可を受け、OCNサービスとして商用サービスを12月25日に開始。この時、JPNICでne.jpドメイン名が新設されたため、一番乗りでocn.ne.jp を間に合わせた。

ダイヤルアップ接続は電話をベースとした従量制の料金体系のため、交換機から直接IP網へつなぐ仕組みを開発したが、当時はISDNサービスとして定額への道へは踏み込めなかった。その間にADSLが市場を賑わし、NTTも判断を迫られた。ADSLは帯域が保障されないアクセス回線のため、ISDNを提供してきたNTTとしては厳しい判断であったが、もともとベストエフォートのOCNで使うのであれば問題無いと、試行サービスとしてその道も開放された。

1999年のNTT分割に伴い、新たなアクセスサービスとして一時検討が中断されていた、ISDNの定額網新サービスの検討がNTT東西会社であらためて進み、ようやく個人ユーザー向け定額サービスとして、安価な常時接続サービス「フレッツISDN」が実現することになる。これにより、OCN開始当初の条件付き認可で指摘されたアクセス回線共用化が解決。その後、試行サービスであったADSLが加わり、ブロードバンド時代の幕開けとなり、さらに念願の光アクセスも加わり、NTT東西の光アクセスサービスの拡大と合わせて、おかげさまでOCNも現在に至る規模にまで大きくなった。

余談であるが、開始当初はインターネットもまだ知られていなかった時代だったので、僕ら担当者の間では、全員がメールアドレスを持てる時代にしようと話をしていた。OCNのメールアドレスは、サブドメインに色を表す分かりやすい名前を付けたのも、担当者の思いである。

このページを評価してください

このWebページは役に立ちましたか?
ページの改良点等がございましたら自由にご記入ください。

このフォームをご利用した場合、ご連絡先の記入がないと、 回答を差し上げられません。 回答が必要な場合は、お問い合わせ先をご利用ください。

ロゴ:JPNIC

Copyright© 1996-2020 Japan Network Information Center. All Rights Reserved.