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ニュースレターNo.85/2023年11月発行

Internet ♥ You No.20

独立行政法人情報処理推進機構(IPA) 産業サイバーセキュリティセンターおよび
ソフトイーサ株式会社 松本 智さん

タイトルバック
現在、 情報処理推進機構産業サイバーセキュリティセンターおよびソフトイーサ株式会社等に所属。 人材育成やセキュリティ教育、 インフラファシリティ構築、インターネット運用、通信回線事業、 コミュニティ活動などインターネットに関わるさまざまなことに従事。 筑波大学および同大学院卒。 卒業後株式会社インターネットイニシアティブにてAS運用とインターネットのいろはを学び現職に至る。 2014年からはJPNIC主催のInternet Weekにてプログラム委員として参画。 長年プログラム委員長を務めるなど日本のインターネットコミュニティの発展に貢献。
独立行政法人情報処理推進機構(IPA)産業サイバーセキュリティセンターおよびソフトイーサ株式会社で、 人材育成やセキュリティ教育、 インフラファシリティ構築など多様な業務に従事されている、 松本智(まつもとさとし)さんにお話を伺いました。 小学生の頃からコンピュータに触れ合い、 コンピュータネットワークの分野に熱中していた学生時代を送っていたそうです。 今までの経験・業務についてや、 精力的に活動されているインターネットコミュニティでの活動について、 今後の目標など、 インターネットに対する熱い想いを語っていただきました。

松本さんがインターネットを知ったきっかけ

Windows 95が出て少しした頃くらいから小学校のコンピュータルームに入り浸っていました。 中学生になってからは、自分のPCを買ってもらい、 ネットサーフィンやWebページを作成していました。 当時はグローバルIPアドレスが使えたので、 中学2、3年の頃にはサーバを建てて遊んでいました。 映像制作の活動やネットゲーム、 PCを自作するなど遊びの幅が広がっていきました。 中学高校時代はコンピュータ部に所属し、 遊びつつさまざまな経験を積むのがメインでした。 インターネットの発展とともに思春期を過ごした世代ですね。 当時はまだインターネットということを特に意識せず、 ずっと使っていました。

大学生の頃について

高校生の時にインターネットでさまざまな技術情報を調べているうちに、 コンピュータサイエンスの分野を学ぶには筑波大学が良いらしいぞという話を耳にして、 筑波大学を志望、受験し無事入学しました。 大学に入ってすぐ所属学類(筑波大学では学部のことを学類と表します)のサーバ室や大学の情報メディアセンター(全学のコンピュータネットワークやコンピュー ティング基盤を運営するセンター)に行く機会があり、 大規模なネットワーク装置やさまざまなサーバが所狭しと並び運用されている様を目にして、 世の中にはこんなに素晴らしいものがあるのか、 これがインターネットか! と衝撃を受けました。 それまでは趣味や手の届く範囲でコンピュータネットワークに触れていましたが、 それをきっかけにコンピュータネットワークの分野をさらに深めていきたいと思い、 取り組み始めました。

大学2年生の頃に、 他の大学のコンピュータネットワークも見てみようということで慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の村井研究室(慶應義塾大学名誉教授・村井純氏)を見学しに行った際に、 村井先生やWIDE Project (以下WIDE)メンバーと出会い、 自分もWIDEに参加しさまざまな取り組みをしてみたいと思うようになりました。 ただ、WIDEに参加するに当たっていくつかハードルがありました。 まず筑波大学はWIDEに接続している大学ではなかったのです。 そこからさまざまなところに相談をした結果、 砂原先生(慶應義塾大学教授・砂原秀樹氏)の助けによりWIDEへ参加することになりました。 そこでまず第一歩として、 筑波大学をWIDEに接続するために大学のNW設備更新等で廃棄される予定の機材などをかき集めNOC (Network Operation Center)を立ち上げました。 具体的な接続までには、 SINET (Science Information NETwork)との交渉や、 装置を使いこなすためのさまざまな苦労などもありましたが、 無事接続することができました。 その時ようやく自分の手でインターネットに接続することの苦労というものを味わいました。 そこからしばらくは働いて稼いだお金で中古ネットワーク機器を調達してはNOCの拡張を行うなどの日々を過ごしていました。 大学3年生および大学4年生の頃にはInterop TokyoにSTM (ShowNet Team Member)として参加しました。 STMの活動ではより大規模なネットワークを実践的に構築することや知らない世界を見ることができ、 大変大きな刺激となりました。 そのような活動や自分がコンピュータネットワークの分野で面白いと感じる方向へ進む中で、 さまざまなコミュニティ活動に自然と参加していました。

大学卒業後の進路と、これまでのキャリアについて

大学院生2年生の頃の2011年3月に東日本大震災に被災しました。 筑波大学も大きな被害を受け、 運用していたNOCも大変なことになり対応に追われ就活をする余裕もなく、 ようやく落ち着いた頃には世の中的には多くの会社で募集も終わっているというような時期になっていました。 当時はISPの立場でインターネットに携わりたいと考えており、 就活を開始した時に採用の受付を継続していた株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)を受け、 無事に就職できることとなりました。 就職後はAS2497の運用を担当し、 初めて商用の立場から大規模なインターネット運用を行いました。 IIJではインターネットの中枢を分業せずに全部やる、 自分達の手を動かすということを大切にしており、 そういった環境にいたことは自分にとって良い経験となりました。

IIJ退職後は、 大学時代にも働いていたソフトイーサ株式会社に入り、 ネットワークコミュニティの活動も開始しました。 また、2017年からは独立行政法人情報処理推進機構(IPA)産業サイバーセキュリティセンターにて、 社会インフラ・産業基盤のサイバーセキュリティに関わる中核人材育成やセキュリティ教育、 インフラファシリティ構築などを行っています。 その傍らでつくばの地域ISPなどにも携わりつつ、 いくつかの仕事を並行して行っています。

コミュニティ活動について

学生時代はWIDEに参加して、 社会人になってからはwakamonogに参加、 そこからInternet Weekのプログラム委員会に参加するようになりました。 Internet Weekのプログラム委員には2014年から参加しており、 委員長も経験しました。 Internet Weekのプログラム委員はそれぞれ専門分野がありながら協力して活動しています。 まさにインターネットの精神だと感じています。 日本は今、 新しいイノベーションが萌芽するために必要な技術研鑽を積める環境が減りつつあり、 過去の勢いを失いつつあります。 過去日本において世界に先駆けてさまざまなイノベーションを起こせた流れを絶やさないように活動することが大事ですし、 JPNICにはぜひその旗振り役を担っていただきたいと思っています。 そういう思いがありInternet Weekに携わっています。

事業者は自分達のビジネスとしてインターネットと関わっていると思います。 私はそれとは違う立場でインターネットコミュニティを盛り上げていきたいといつも考えています。 IPAではセキュリティ・キャンプを通じて若年層の教育にも携わってもいますが、 うまく若手を育てるにはどうすれば良いのか、 もう少し世の中のためにできることがあるのではないか、 という気持ちを持って取り組んでいます。 私の世代はインターネットの第一世代に育てられてきました。 今度は次世代を育てる、そういうことをやっていきたいです。 横の繋がりや連携を強くし、 皆で面白いことをやれたらいいなと思っています。

コミュニティ活動は昔からの地続きの感覚で、 自然体で行っています。 インターネットが好きで活動している人はたくさんいて、 表面的にやっていることが変わっても、 根本の気持ちは変わっていないと思っています。 ある人はデータセンターを作ったり、ネットワークを作ったり。 たまたま自分は、 その中でコミュニティ活動をやれる立場にいる、 という感じでしょうか。 インターネットが盛り上がったこの30年という短い歴史の中で、 各々がインターネットを良くしようと協力しながら進んできました。 これは最初から意識していたわけではなく、 皆バラバラな方向を向いていたけれど、 それらが有機的に繋がって、 結果的に今のインターネットを作り上げたのだと思います。 その一つの場所に自分がはまったのだと思います。 個人の活動は簡単で、勉強会に出たり、社内で声がかかったり、 募集があったり。 そういう時に参加して、参加し続けていると、 たまにチャンスが回ってくることがあると思います。 続けていきたいことや続けられる場所に出会った時に、 ちゃんとそれをやることが大切だと思います。

今後の目標について

自由に技術研鑽ができる、 失敗が許容されるような大規模な実験ネットワークやコミュニティIXを作って、 継続させ、多くの人の役に立っていくことが今後の目標です。 インターネットができたばかりの頃は、全部自分でやるしかなく、 まず手を動かすということを皆自然に行っていました。 しかも当時は、 ある意味で緩く失敗してもなんとかなるネットワークでした。 黎明期ということもあり、皆そのような状況を受け入れていました。 しかし今では、 ネットワークが社会インフラの重要な基盤となったために自由に試行錯誤をすることができなくなりました。 これではネットワーク技術者のレベルアップができません。 手順書がないと何も手を動かせない技術者ばかりになってしまうのではないかと、 将来を危惧しています。 そこで、壊しながら学べるネットワークを作りたいと考えています。

大きなことを考えているわけではなく、 息をするようにインターネットをしているくらい、 インターネットが好きで生業にしているからこそ、 この先も続いてほしいと願っています。 インターネットはきっとなくならないと思いますが、 形は変わっていくかもしれません。 1人でも2人でもいいので、 インターネット技術の変革に対応できる次世代を育成して、 将来をちゃんと考えてくれる人が出てくるといいな、 と思ってコミュニティ活動や日々の業務に励んでいます。

松本さんがプライベートではまっていること

写真:愛車

趣味はワインですが、初心者なので多くは語れません(笑)。 覚えることが多くて面白いです。 よく飲むのはチリのワインで、 関税がかからないので比較的安価で美味しいです。 あとは建築技術や不動産が好きで、 ショッピングモールをよく見に行きます。 買い物のため、ではありません。 年代によって設計思想が異なり、通路の幅、建材などが違いますし、 人の流れが通信のトラフィックのようで面白いです。 データセンターや洞道とかNTTの局舎も見に行きます。 高速道路などの道路土木や鉄道なども好きです。 仕組みがネットワークと似ていると感じるものが好きなのかもしれません。 職業病ですかね。 仕事終わりの気分転換に夜のドライブにもよく行きます。 家に帰れば家族の猫に毎日癒やされています。

最後にインターネットに対する愛情のこもったメッセージをお願いします!

そこにある、 空気と水みたいなもの……それを良くしていきたいですね。 今生きている人もそうですが、 将来インターネットをやりたいと思った人達が困らないようにしたいです。 いわゆるネットワーク運用者の考え方ですね。 あとで困るだろうなというところに気づいたら、 ネットワークエンジニアは直しますよね。 それと同じで、 インターネットの世界が将来困ることを避けるために、 今いろいろやっているのだと思います。 皆が困らないようにしよう! 落ち着いたら休もう! という。 ネットワークオペレーションの心得が身についた、 ネットワークオペレーター・ITTエンジニアの本能でしょうか。 インターネットに育ててもらっているので、 還元せねばとも思っています。 趣味が、10年続くとライフワークになっている、という感じで、 趣味だし、たまたまインターネットで食っていけている。 面白くて、それが世の中の役に立っている、 それがいいんです。 面白くないと、続かないですよね。

写真:発表の様子
2022年11月、Internet Weekに登壇したときの一コマです。
写真:猫
家族の猫です。

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