メインコンテンツへジャンプする

JPNICはインターネットの円滑な運営を支えるための組織です

ロゴ:JPNIC

WHOIS 検索 サイト内検索 WHOISとは? JPNIC WHOIS Gateway
WHOIS検索 サイト内検索

ネット環境下の著作権と公正利用(フェアユース)

弁護士 藤本英介

updated: Jan. 12, 1998


1997年12月17日パシフィコ横浜でのInternet Week 97でJPNIC主催で行われた講演の手控えに、加筆したものです。 時間の関係上講演で述べることができなかったことなども含まれています。


1.はじめに

本日は、「Webコンテンツと知的財産権」の話の一環として、 著作権に関するフェアユース、特に、デジタル時代、 ネットワーク時代のそれを主題としてお話しする予定です。

フェアユースに関する日本語文献としては、 椙山啓士「マルチメディアの法的 枠組」(司法研修所論集創立五十周年記念特集号第一巻民事編Ⅰ、273頁)、 豊田彰「フェア・ユース-新しいコミュニケーションの開拓」(政経研究29号2頁)、 曽我部健一「著作権に関するフェアユースの法理」(著作権研究20号97頁)、 社団法人日本事務機械工業会『著作物のフェアユースに関する調査報告書』(1994)などがある。
インターネットでアクセスできるものとしては寺本振透「フェアユースの限界について(1)(2)(3)」 <http://mci.rittor-music.co.jp/back/7htm/koza7.html> <http://mci.rittor-music.co.jp/back/8htm/koza8.html> <http://mci.rittor-music.co.jp/back/9htm/koza9.html>がある。
米国の著作権法の概説書の訳本であるアラン・ラットマン他編・内藤篤訳『米国著作権法詳解』(信山社 1992)デイビッド・A・ワインステイン著・山本隆司訳『アメリカ著作権法』などにもフェアユースについての解説がある。 特に前者は議会報告書や判例の訳文も付されており詳細である。
英語文献は極めて多数にのぼるが、 英国・米国の多数の判例や立法経緯などが詳細に紹介してあるものとしてWilliam F.Partry, The Fair Use Privilege in Copyright Lawがある。
インターネットのページとしてはStanford University LibrariesのCopyright & Fair Useのページ <http://fairuse.stanford.edu/>がフェアユース関係でよく知られている。

2.著作権法はなぜ存在するか

ネットワーク時代の著作権のフェアユースの話をする前提として、 まず、歴史的観点から著作権法の存在理由、著作権法の目的、 を概観したいと思います。 フェアユースは、あとで述べるように、 著作権法を硬直的に適用することが、 著作権法の存在理由=目的を否定してしまう場合に、 著作権を制限する理論です。 従って、 著作権法の存在理由=目的は何かということを理解しておくことは、 フェアユースの理解にとって重要です。 また、著作権法は、印刷技術の普及とともに生まれた法律です。 デジタル化・ネットワーク化が普及して印刷技術にとって変わりそうな勢いもある現在の社会で、 印刷技術が普及した時代に、なぜ、 どのようにして著作権法が立法されたかを振り返っておくことは有意義だと思います。 大きな社会的変化のない時代では、法律は、 条文に定式化されたものを適用していけばよい場合が多いのですが、 社会的に大きな変化があると思われるネット時代に著作権を真剣に考えるためには原点に帰って考え直すことが必要不可欠だとさえ思っています。

著作権法の歴史については、 阿部浩二「著作権の形成とその変遷」『著作権法 四題』(著作権資料協会 1985)半田正夫「著作権の一元的構成について」(『著作権法の研究』(一粒社 1971)所収)。 英国の著作権法の歴史については、 白田 秀彰「コピーライトの史的展開」(『一橋研究』19巻4号~21巻3号 1995,1996) ( <http://leo.misc.hit-u.ac.jp/hideaki/copyrigh.htm>で利用可能)が詳しい。
日本の著作権法の歴史については、 長野伝蔵編著『わが国著作権法制度の沿革』(著作権資料協会 1968)が資料を豊富に集めている。 鈴木敏夫『実学・著作権法』(サイマル出版 1976)は日本の著作権法の歴史にもふれている。
小泉直樹『アメリカ著作権制度』(弘文堂 1996)の第一章から第二章は歴史的視点から著作権法の存在理由を論じフェアユースに言及する。 L. Ray Patterson & Stanley W. Lindberg, The Nature of Copyrightも同様のアプローチをしている(インターネットでアクセス可能なPatterson教授の論文としてCopyright and "the Exclusive Right" of Athors <http://www.lawsch.uga.edu/~jipl/vol1/patterson.html>)。
このようなアプローチもとりながらネットワーク時代の著作権法の展望を得ようとする日本語の文献で入手しやすいものとしては名和小太郎『サイバースペースの著作権』(中公新書 1996)及び、 拙著「著作権に関する基礎知識」(インタ ーネット弁護士協議会編著『ホームページにおける著作権問題』第1編第2章(毎日コミュニケーションズ 1997 ))。

2.1出版特許  -独占確保と言論統制(暗黒面)

著作権法の萌芽として挙げられるのは、出版特許の制度です。 出版特許制度とは、 支配者が特別に許した書籍を特別に許した者にだけが出版を許す制度です。 出版技術が普及すると、国の宗教の教義や、 施策を批判する言説が流布するようになりました。 国王などの支配者は検閲による言論の統制の必要を感じるようになりました。 これと出版者(当時は、現在の出版社、印刷所、 書店などを兼ねた存在だったようです)の独占の要求が合致して、 出版特許制度が出てきます。 グーテンベルグの活版印刷術の発明は1445年頃ですが、 最初の出版特許制度は1486年のベニスで現れました。 1500年代(16世紀)に入ると、 フランス・イギリス・ドイツなどでも出版特許制度が実施されました。 日本でも1673年には出版の許可制が行われていた資料が残っています(1693年「新規板行政候節ハ両番所江可申上事」)。

少し話はそれますが、 日本の著作権のめばえとしてよく取り上げられるのが1722年の徳川吉宗政権のもとの大岡越前守の触書です。 ここでは

  • まず、「・・書物類その筋、一通りのことは格別猥りなる儀、異説など取りまぜ作り出し候儀、堅く無用なるべきこと」と、今風にいえば「品位のない」言説の取り締まりを述べ
  • 特に「・・好色本の類は、風俗のためによろしからさる儀に候間、早々相改め絶板つかまつるべく候こと」とワイセツの規制強化を述べ、
  • 更に、「これ以後新板の物は作者ならびに板元の実名を奥書にいたし申すべく候こと」と、実名主義を言い、
  • 最後に、「もし右の定めに背き候者これあらば、奉行所へ訴え出ずべく候・・ ・仲間吟味を致し、違反これなさるよう相心得べく候」と刑罰を「てこ」にした自主規制を強調しています。

○享保七寅年十一月(一七二二年)新板書物之儀ニ付町觸
一自今新板書物之儀、儒書佛書神書醫書歌書、都而書物類其筋一通り之事者格 別、猥り成儀異説等を取交、作出シ候儀堅可為無用事、
一唯今迄有來候板行物之内、好色本之類ハ、風俗之為ニも不宜儀ニ候間、段々 相改、絶板可申付候事、
一人之家筋先祖之事杯を、彼是相違之儀共新作之書物ニ書顕わす顯シ、世上致 流布候儀有之候、右之段自今御停止候、若右之類有之、其子孫より於訴出ハ、急度吟味有之筈ニ候事、
一何書物よらす、此後新板之物、作者并板元實名奥書為致可申事、
一権現様之御儀物勿論、惣而御富家之御事板行書キ本自今無用ニ可仕候、無據 子細も有之ハ、奉行所江訴出、差圖請可申候事、
右之趣を以、自今新作之書物出候共、遂吟味、可致賣買候、若右定ニ背キ候者 有之ハ、奉行所江可訴出候、經數年相知候共、其板元之問屋共江急度可申付候、仲間致吟味、違犯無之様可相心得候、
寅十一月

大岡越前守の情報規制と、現在のインターネット規制論は、 よく似ています。 お上の情報規制は、今も昔も変わらないのでしょうか。 元禄時代の直後の大岡越前守のこのような施策が、 当時の当時の文化にどのような影響を与え、 それが成功したといえるのか失敗と考えられるのかは「昭和元禄」が終わった直後の現在、 興味のあるところです。

話をもとにもどしますと、出版特許制度は、 業者組合(ギルド)を組織化させ(激しい異端禁圧を行いブラッディ・マリーとして有名なメアリ女王のもとで、 出版者のギルドと、出版特許制度の、強化・整備が行われました)、 しだいに、特権を持った者が努力を怠って巨利を確保しようとし、 全体的に活力の低下を招く独占の弊害がをもたらしました。 これに反対する新興出版業者(アウトサイダー)の力などにより、 イギリスでは、1694年に出版特許制度はあえなく廃止されてしまいまし た。

出版特許にみられる言論の抑圧と独占の弊害は、 著作権制度にまつわる暗黒面として、 現在の著作権法を考えるにあたっても、 これが出ることのないよう注意していかなければならないことだと思います。

2.2英国アン女王法  -学術の奨励(インセンティブ論)

出版特許制度が廃止になって、英国の出版業者はあわてました。 海賊版から出版を保護する新たな制度と、 その必要性を訴える理由付をしなければなりませんでした。 そこで持ち出されたのが、 「学問の奨励」(encouragement of learning)ということです。 著作者や出版者に経済的見返りを与えなければ、 著作者は有用なものを努力して書かなくなり、 また出版者も努力してこれを広めようとしなくなり学問が停滞してしまいます。 経済的見返りによって、著作者が、 市場競争に勝ち残る優れた著作物を創作し、 出版者が優れた著作物を見極めて市場に広める努力をするようなインセンティブ(刺激・動機・誘因)を与え、 この市場競争によって結果的に学問の発展をさせようという理論が著作権法の存在理由にされました。 この理論は、インセンティブ論、功利-奨励理論、 政策論などと称されています。

この理論に基礎をおいて立法されたのが1709年(法律が成立したのは1710年)のアン女王法(Statute of Anne)、 別名「印刷書籍のコピー(の権利)を著作者又はコピー(の権利)の購入者に一定期間内付与することによって学問を奨励するための法律」(An act for the encouragement of learning, by vesting the copies of printed books in the authors or purchasers of such copies, during the times therein mentioned)です。 アン女王法では保護する一定期間は原則公表後14年、 満期の際に著作者が生存していればさらに14年延長するというものでした。 この法律による保護を受けるためには版の登録が必要でしたが、 登録できる者が制限されるようなことはありませんでした。 これがはじめて著作者の権利というものを認めた法律という意味で最初の近代的意味での著作権法とされています(内容の詳細は、 前掲白田「コピーライトの史的展開(5)」「一橋研究」21巻1号<http://leo.misc.hit-u.ac.jp/hideaki/statute.htm>)。

著作権は、 学問の奨励という公共的な目的・政策を達成するための「手段」にしかすぎないという考え方がアン女王法に示されています。

2.3英国出版者の紛争  -自然権論の興隆とその敗訴

アン女王法で定めた著作権の保護期間が満了してしまうころから、 英国の大手出版社は、出版独占の確保のため、 次のステップをとるようになりました。 ルネッサンス以後人間の精神活動を高揚する考え方が広まり、 著作物というのは人間の精神活動が乗り移ったもので、 他の人間がこれを制限することは許されない--人間の作った法律による制限よりも天(自然)が与えた「法」が優先し、 この自然法によれば、 人間の精神活動の保護は永遠であるべきである--このような考え方が社会的に受け入れられる環境がありました。 このような考え方を著作権法の存在理由とする理論は、 自然権論とかプロパティ理論と称されています。

英国の大手出版社は、この考え方を前面に出して、 アン女王法で期間満了になった出版物についての保護を要求する裁判を次々に起こしていきました。 アン女王法は、権利救済をスピーディーにするためのもので、 本来的には著作者とこれから権利を譲り受けた出版者には自然法上の永久の権利があると主張しました。 当初、出版者側のこの主張を認める判決がいくつか出ました(Millar v. Taylor 等 詳細は、前掲白田「コピーライトの史的展開(6)」「一橋研究」21巻2号 <<http://leo.misc.hit-u.ac.jp/hideaki/battle.htm>)。

しかし、最終的には、 1774年のドナルドソン対ベケット事件(Donaldson v. Beckett)で最終裁判所の役割をしていた英国貴族院は、 書籍を発行されればアン女王法の規定が優先するとして大手出版社の主張を退けました。 (詳細は、 前掲白田「コピーライトの史的展開(7)」 「一橋研究」21巻3号<http://leo.misc.hit-u.ac.jp/hideaki/philos.htm>)。

自然権論は、 人間の精神活動の高揚という人を引きつける要素のある理論ですが、 著作権を政策的目的のための手段と考えるインゼンティブ論と違って、 著作権が自己目的化しており、 著作権保護の範囲を限定する方向に思考が及びにくく、 市場独占を図る勢力に利用されやすい欠点があることを歴史が教えています。

2.4アメリカ合衆国憲法の著作権条項  -インセンティブ論

アメリカ合衆国は、 1776年(イギリスの1774年のドナルドソン対ベケット事件判決の2年後)に独立し、 合衆国憲法は、1787年に制定されました。 その1条8節(8)号は「著作者及び発明者に対し、 それぞれの著作及び発明に対する排他的な権利を限定された期間保護することにより、 学術及び有用な技術の進歩を推進すること」(To promote the progress of science and useful artes, by securing for limited time to authors and inventors the exclusive right to their respective writings and discoveries)を連邦議会の権限としています。 この憲法の条項は、 著作権条項とか知的財産権条項とか呼ばれていますが、 英国のアン女王法の趣旨をかなり忠実に再現するものです。 「学術」と訳したところは原文では「science」となっているのですが、 当時science というのはlearning、 つまり学問を意味していたということです(前掲 Natue of Copyright p.48)。 著作権法の目的が、アン女王法と同じく、 学問の奨励 ・推進のためのインセンティブの付与にあることが憲法によって明らかにされているといえます。

また、 アメリカ合衆国の最初の著作権法である1790年著作権法のタイトルは「地図、 海図及び書籍の複製物の保護を一定期間その作成者及び権利保有者に確保することによって学芸を促進するための法律」で、 公表後14年の更新可能な保護期間を定めていました。 これがアン女王法をモデルにしたものであることはいうまでもありません。

アメリカの著作権法はこのように、 イギリスの法律・判例の流れをくんでいます。 このことは後述のフェアユースを考えるうえで重要ですので、 押さえておいて下さい。

2.5 ヨーロッパ大陸  -自然権論が強い?

フランス・ドイツなどのヨーロッパ大陸の著作権法は自然権論が強いとされています。 しかし、Jane C. Ginsburg, A Tale of Two Copyrights, 64 Tul.L.Rrev.991は、 フランス革命時の著作権法の立法者たちが自然権的構成への警戒感をあらわにしていると述べています。 従って、これは必ずしも全面的に妥当するものとはいえない(小泉 前掲書4頁)といえます。

2.6 日本など  -貿易問題とリンク-著作権の南北問題

日本の近代的意味での著作権法は外圧(国際協調)によってできたといって よいと思います。 明治初頭に福沢諭吉は、 自分で著作・出版した本の海賊版からの保護を求める運動を強く行い、 明治2年(1869)に出版条例が成立しましたが、 これは出版社保護に重点をおいた出版許可制の法でした。 この後、日本は1886年にベルヌ条約創設会議に代表を送り、 翌年の1887年に、版権法が制定されました。 これが、著作者保護を建前とする日本ではじめての法律です。 日本での最初の著作権法とされるのは1899年の「旧著作権法」で、 この年に日本はベルヌ条約に加盟しています。 日本がベルヌ条約に加盟したのは、 それを欧米諸国が開国時の不平等条約の撤廃の条件とし、 通商航海条約で義務づけたからです。

アジアなど欧米文化の輸入国の著作権法制定の過程は日本と同じようなものです。 最近は、 本来関税・貿易問題をあつかうGATTやWTO(世界貿易機関) が国際的著作権交渉の場として用いられていました。 貿易問題と著作権問題をリンクさせて、 北の先進国が南の発展途上国に著作権法の整備を迫るという形がとられていました。

このような国では、 著作権法の理念や存在理由を論ずる社会的状況ができる前に、 著作権法の制定が先行してしまったといえるでしょう。

日本の著作権法の代表的解説書である加戸守行『著作権法逐条講義』は「・・そもそも権利といわれますものには、 天賦人権というか、自然発生的に人間が持っている権利と、 そうでなく法律によって設定される権利と、 二通りのものがございます。 基本的人権と呼ばれますものは、 何も法律の規定を待つまでもなく、 人間固有のものとして認められております。 一方、この著作権は天賦人権ではなくて、 法律によって与えられる権利である、 その中身をどうするかというのは法律の問題であります。」(改訂新版 著作権情報センター 1994 12頁)としている。

以上のように、近代的著作権法の存在理由=目的の考え方としては、 インセンティブ論と自然権論があります。 しかし、自然権論は、著作権を自己目的化し、 保護の理由と限界をそれ以上考えさせない機能があり、 独占と言論統制のために利用されやすい欠点があります。 これに対し、インセンティブ論は、 出版の自由とこれによる市場競争を前提としており、 政策的目的達成のための手段として著作権をとらえています。 法律が前提とする社会構造が変化した時に、 法律の正当性と限界を反省し、 新たな社会への法律の立法や解釈適用に指針を与えることができるものだと思います。

3.著作権法が前提としていた流通構造

図:物理的な流通構造

デジタル時代・ネットワーク時代のフェアユースを述べるためのもう一つの前提として、 著作権法が前提とする社会構造、特に著作物の流通構造が、 ネットワーク時代とその前の時代とでどう変化していくのかということを述べたいと思います。 これについては、 ドイツのマックス・プランク研究所のトマス・ドライア博士が1993年WIPOの国際シンポジウムで「デジタル化された著作権」という講演で優れた分析をしています (Tohmas Dreier, Copyright Digitized(WIPO World Symposium 1993) 訳として栗原崇光訳「デジタル化された著作」コピライト391号(1993)6頁)。

これを私なりに理解して説明してみます。  従来、著作物の流通は、 著作物(これは物理的な形のない無体物です) を大量の有体物に複製し、 これを物流の経路に載せる形態が主流でした。 そして流通の準備段階としての大量の複製には、 大きな設備投資が必要でした。 著作権者としては、大量の複製行為さえコントロールできれば、 創作の努力に見合う対価を得ることができていました。 そこで著作権法も、 大量の複製をコントロールする排他的権利である複製権を中核に構成され、 その内容を明確化または拡張するための翻案権と翻訳権が著作権の内容の中心になっていました。 大量の複製をともなわないものは、例外的に、 それを公(流通)に出す段階で、 一定の著作物について一定の行為を公に行うことについてコントロールできるよう上演権、 演奏権、口述権、展示権、 上映権などが個別的に認められれば十分でした。 最終利用者は物流の過程や特定の場所への入場料を支払えば、 それが著作権者に還元できる仕組みを作ることができていました。 最終的利用者が著作権者の経済的立場に影響を与えるような形で利用をするということもほとんど考えられませんでした。

著作権の内容が、複製権中心で流通の準備段階にとどまっている限り、 それが、流通の自由や末端での個人的利用に影響を与えることは、 まず、ありませんでした。

流通をコントロールできそうな著作者の権利として考えられるものに頒布権があります。 頒布権は、本来、著作物を固定した有体物を、 公衆に譲渡したり貸与したりすることをコントロールする権利(日本の著作権法2条1項20号参照)です。 しかし、流通の独占・寡占や流通系列化は、 自由競争に基づく発展を阻害するものです。 1967年のベルヌ条約の改正会議(ストックホルム)では、 頒布権を著作権の内容に加える提案がされましたが、 この弊害のため否決されたという経緯もあります。 日本では、 映画著作物にのみ頒布権を認めるという形になっています(日本の著作権法26条参照)が、 アメリカなどでは、 一般的に頒布権を認めたうえで(米国著作権法106条(3)参照)、 流通に初めて複製物を出す段階(first sale) だけをコントロールすることを認め、 この最初の販売(first sale)以後は頒布権は消滅するという理論(first sale doctrine)を立法化していま す(同109条(a))。

著作物を作る段階は、 私的領域で行われこれがいったん流通という公的領域に出され、 その利用は再び私的領域で行われていたわけですが、 著作権法は、創作という私的領域から流通という公的領域に出されるところをコントロールして おけば十分だったわけです。

ネットワーク時代の直前時代、 テープ録言・録音など個人が容易に著作物の複製ができるようになった 時代には、 first sale doctrineの適用のない公衆への貸与権とか、 私的録音補償制度という形で、 著作物の流通過程という公的領域や私的利用の領域に、 徐々に著作権のコントロールが及ぶようになってきました。

日本の著作権法第2条(定義)この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
・・・・・・
二十 頒布 有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与することをいい、映画の著作物又は映画の著作物において複製されている著作物にあつては、これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含むものとする。
第26条(上映権及び頒布権)著作者は、その映画の著作物を公に上映し、又はその複製物により頒布する権利を専有する。
2 著作者は、映画の著作物において複製されているその著作物を公に上映し、又は当該映画の著作物の複製物により頒布する権利を専有する。

米国著作権法106条 第107条から第118条までの規定に従うことを条件として、この法律に基づく著作権の所有者は、次のことを行い又は許諾する排他的権利を有する。
・・・・・・
(3)著作権のある著作物の複製物又はレコードを販売その他の所有権の移転又は貸与によって公衆に頒布すること
109条(a) 第106条(3)の規定にもかかわらず、この法律に基づいて適法に作成された個々の複製物又はレコードの所有者又はその所有者から許諾を得た者は、著作権者の許諾を得ることなく、その複製物も田はレコードを販売し又はその占有を処分することができる。

4.ネットワーク環境での流通構造

図:ネットワークでの流通構造

ところが、ネットワーク時代では、 有体物の流通という過程を通さずに著作者から利用者に著作物を直接流すことが可能です。 このことから、 従来あった流通という公的領域はなくなってしまうのではないか、 という考える人も出てきました。 ドライアー博士は、 従来著作権が依存していた公的領域はなくなってしまい、 「へそのお」のような一本の 線が残るだけだと意味深長なことを言っています。

これに対して、私は、やや違う考えを持っています。 私は、流通の本質は、有体物の運送ではなく、 生産者と消費者を結びつける情報を、 生産者と消費者に提供することだと思っています。 従来の著作権の流通においても、書店や図書館などは、 消費者(利用者)の動向から、 売れる著作物・よく利用される著作物を把握し、 これを出版者・著作者に伝え、他方、 売れそうな・利用されそうな著作物を広告したり、分類し、 入手しやすいように展示して消費者(利用者)に、 著作物の情報を伝えるという役割を果たしてきました。 ネットワーク時代、 誰でも多数の著作物に独力でアクセスできるとはいえ、 情報は多すぎると誰も選ばなくなってしまいます。 だれかが、 情報を取捨選択しておすすめコースのようなものを出してやる必要があります。 情報の仲介者というか、情報のソムリエというか、 情報の流れの手助けをする存在があってしかるべきではないかと考えています。 まだその存在はさほど明確ではありませんが、 ホームページのリンク集、検索エンジン、 商用ネットワークのシスオペなどはその走りなのではないだろうかと思っています。

しかし、とりあえず「臍の緒」だけになってしまうと仮定すると、 どうなるでしょうか。

5.ネットワーク環境下での著作権の問題点

5.1 著作権の内容・種類に関して

  • 著作者と利用者を結ぶ「臍の緒」もコントロールする必要はないか
  • 劣化しない複製が容易にできる利用者側の私的領域もコントロールする必要はないか

ということで、著作権の内容・種類について、 これを強化したり増やしたりしなければならないのではないか、 という意見が出て来ます。

5.2 著作物に関して

  • 創作性があるとはいえないデータに需要が多くなるが、この財産的価値も保護する必要はないか

著作物についても、 従来のような有体物に載せた本のパッケージという大きいものでなく、 こまかい部品のようなものもそれだけで利用価値・経済価値が出て来て、 これも保護しなければならないのではないかという意見も出てきます。

5.3 著作者に関して

  • 著作物の作成に際し創作的とまではいえない関与をする多数の者も保護する必要はないか
  • 利用者が創作的関与やこれに近い関与をすることはないか

また、著作物の創作も、私的に一人で行うというより、 多くの人が法人などの組織を越えて協力しあって作るということが多くなる、 すると、これに関係した人すべてに少なくともある程度は権利を認めていかなければならないのではないか、 という問題も生じます。 更に、利用者も双方向的にインターラクティブに著作物にかかわり、 これが著作物の創作になっていくということも考えられると思います。

5.4 利用に関して

  • ネット時代にフェアユースは必要か
  • 権利の対象と内容が強くなれば、自由な利用も強化されるべきではないか

このようにすべてを強化してしまってよいのか、 強化するとしても自由に利用できる範囲をの方も強化し、 又は従来とは違った切り口で展開する必要はないのか--これがここの話のテーマです。

6.著作権強化の動き

現在、著作権法の強化の動きにあることは確かです。

6.1権利の内容 →強化の方向ほぼ定着

米国ホワイト・ペーパー

権利の内容については、 アメリカのグリーンペーパーとホワイトペーパーの主張が、 著作権強化の主張の典型だと思います。 アメリカのクリントン政権は、1993年2月、 情報基盤タスクフォース(IITF, the Information Infrastructure Task Force)を組織し、 その知的財産権作業部会(ブルース ・レーマンが座長)に、 米国の知的財産権の法律と政策の適切な変更について勧告を求めました。 同部会は、 1994年7月にグリーン・ペーパーと呼ばれる報告書予備草案を出し、 1995年9月にはホワイト・ペーパーと呼ばれる報告書を提出しました。 これら報告書は著作権法中心に構成されています。 このブルース ・レーマンを座長とする知的財産権作業部会は、 後で述べる、フェアユース協議会(CONFU)のスポンサーでもあります。

グリーンペーパー:Green Paper ,Intellectual Property and the National Information Infrastructure, A Preliminary Draft of The report of the Working Group on Intercellular Property Rights(1994) <http://www.iitf.nist.gov/ipc/ipc-files/ipwg/ipwg_draft.html> 大楽光江訳「米国グリーンペーパー」(著作権情報センター1995)
ホワイト・ペーパー:Intellectual Property and the National Information Infrastructure, The Report of the Working Group on Intercellular Property Rights (1995) <http://www.uspto.gov/web/offices/com/doc/ipnii/> 山本隆司訳「米国ホワイトペーパー」(著作権情報センター 1995)
ホワイトペーパーに代表される米国政府の急進的な知的財産権政策については100人以上の米国の学者が深刻な憲法問題もおこしかねないと批判する手紙を政府に送るなど批判が多い。 http://www.clark.net/pub/rothman/boyle.htmなど参照。
パメラ・サミュエルソン「著作権の強奪」ワイヤード・ジャパン1996-6 原文 Wired 4.01 (Jan. 1996) <http://www.hotwired.com/wired/4.01/features/whitepaper.html>はホワイトペーパーに対する辛辣な批判の代表。

ホワイトペーパーなどが、どのように強化しようとしたかは、 毎日コミュニケーションズから出した「 ホームページにおける著作権問題」という本の「著作権に関する基礎知識」というところに少し触れ、また、 日本評論社から出る予定の本「インターネット法学案内」の中である程度書きました。 この日本評論社の本の内容は、 「電子出版権著作権管理業務における電子公証システムの有効性の実証実験」というデジタル形式での流通についての実験的な試み(通産省の電子商取引事業助成の一環として(財)ニユーメディア開発協会が行う「電子公証システムによるオープンマーケット等創出のたもの実証実験」に関して電子公証システムの有効性を検証するためのもの)にも提供されていて、 1997年12月現在この実験利用者の参加受付を行っています。

グリーンペーパー・ホワイトペーパーは、 コンピュータを使ってのネットワーク上の著作物の利用は、 RAMへの一時的蓄積をともなうので、 必ず著作権法上の複製をともなうとの解釈をとり、 ネットワークでの伝達もこのような複製をバラまく行為として、 頒布(distribution)権の対象にし、 これについてfirst sale doctrineは適用されないという考え方をとっています。 これにより、プロバイダーなどは、著作物の頒布者として、 故意過失がなくとも著作権侵害責任を当然に負うとの考え方をとっています。 また、著作権の保護期間を延長すべきとの提言もしています。

また、ホワイトペーパーには、インターネットを著作権無法地帯、 著作権のドッジシティーにするな、と述べています。 「ドッジシティー」というのは、西部劇に出てくるワイアットアープがはじめて保安官になったところです。 ただ、ワイアットアープは、 法の手続に則らないでかなりの数の「悪人」を殺してしまったようで、 ワイアットアープ自身に対しても逮捕状が出たりもしています。 日本の大岡越前守に比べて、 かなり乱暴なところもあったようです。

WIPO著作権条約

内容的には、ホワイトペーパーに近い条約案(Draft Treaty on Certain Questions Concerning the Protection of Literary and Artistic Works<http://www.wipo.int/eng/diplconf/4dc_star.htm>) が1996年末のWIPOの外交会議に提案されましたが、 「複製」概念を広く考えることなどについてはコンセンサスを得られず、 これについての条項案は、条約に採用されませんでした。 この外交会議では、 というWIPO著作権条約(WIPO COPYRIGHT TREATY <http://www.wipo.int/eng/diplconf/distrib/94dc.htm>) などが成立し、インターネットの通信受信は、 頒布権ということでなく、 「公衆への送信権(伝達権)」という新たな権利を設けることになりました。 ただ「公衆への伝達権」にはFirst Sale Doctrine等の規定を置くことは予定されていません。 「公衆への伝達」行為に、 プロバイダなどの行為も含まれるのかどうかは明確ではありませんが、 送信過程のコントロールという意味では実質的には、 ホワイトペーパーなどの考え方に近い解釈が可能な条約が成立したといえると思います。 また、「公衆への伝達権」には、 公衆が自由にアクセスできるよう著作物を公衆に利用可能な状態に置くことも含まれることも条約に明記されました。 ベルヌ条約に一般的な頒布権を入れることはストックフォルム改正(1967)時に否決されたことは前述の通りですが、 WIPO著作権条約では、First Sale Doctrineの留保を認めつつ、 全ての著作物についての頒布権を定めました。

1996年末のWIPOの外交会議の議論や進行状況についてはHRRC(Home Recording Rights Coalitin)のサイト <http://www.hrrc.org/newswipo.html> や日本のSOFTICのサイト <http://www.bekkoame.or.jp/~softic/from_Geneva/> で連日伝えられた。
トーマス・C・ヴィンジ(大楽光江訳)「資料WIPO著作権条約」コピライト437号62頁も進行状況を伝えている。

日本での法改正

日本ではWIPO著作権条約等の批准に備えて、 1997年6月に(1)公衆によつて直接受信されることを目的として無線通信又は有線電気通信の送信を行うことを「公衆送信」とし、放送の定義を改め、 有線・無線・放送・送信の概念を整理する(2)著作者は、 その著作物について、 公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては送信可能化を含む。)を行う権利を専有することを含む著作権法改正が成立し、 1998年からこれが施行されます。

改正著作権法で公衆送信権に含まれる「送信可能化」に関し文化庁の濱口太久未氏は「著作権法の一部を改正する法律について」(ジュリスト1119号41頁)で「いわゆるネットワーク・プロバイダーなど自動公衆送信装置の設置、 管理、運営等を行う者については、 情報の記録やネットワークへの接続等を単純に依頼を受けて機械的に行うだけであれば、 通常自ら著作物等を送信可能化しようとするための行為ではない」としています。 プロバイダなどが、単なる情報の「運送屋」であることを越えて、 主体的に情報の選択を行う、情報の「仲介人」になろうとすると、 送信可能化権の侵害の責任を負わされかねない解釈だと思います。

6.2著作物 → 強化の方向で議論

著作物そのものではないのですが、 データベースのコンテンツ(著作物性・創作性が認められないものが多い)の保護やデータベースからの不正な抜き出しの防止を図ろうとする次のような動きもあります。

データベースに関するEU指令
ヨーロッパ委員会(EU)が1996年3月に採択した「データベースに関するEC指令」がそれです。
WIPOでの条約案
同年12月WIPOで提案された第3条約案((Draft Treaty on Intellectual Property in Respect of Databases <http://www.wipo.int/eng/diplconf/6dc_sta.htm>)などです。 しかし、 昨年12月のWIPO外交会議では討議されるまでにもいたりませんでした。

6.3著作者 → まだ明確な動きはない

著作者やこれに近い者を特にとりあげて保護を拡大しようとする具体的動きについては、 私が知るまでにいたっているようなものはありません。

このように著作権の強化が主張され、 その方向で世界も動いています。 前に述べたように社会構造・流通構造は変化しつつあります。 このような状況下で著作権法は、 その本来目的としていたものを果たすことができるのか、 フェアユースは少なくともこの問題のヒントを与えてくれるのではないか、 というのがここのテーマです。

7 フェア・ユースとは何か

本稿7項では、従来からのフェアユースの概念と根拠を説明し、 8項で、 アメリカの現行著作権法下のフェアユースの主要な判例を紹介し、 9項10項でネットワーク時代デジタル時代のフェアユースを検討するものとして米国のCONFU(フェアユース協議会)での議論を概観します。

7.1米国などでの概念

フェア・ユースは、 米国著作権法などで認められた著作権侵害訴訟での抗弁の一つで、 これを立証できれば、ユーザは、著作権者の許諾を求めたり、 ロイヤルティを支払うなどの義務を一切負わずに、 その利用を継続することができるも のです。

しかし、フェアユースは、 何がフェアユースにあたるかを予め限定することはできないものといえます。 米国の判例でもフェアユースは「事実上定義を拒むほどに柔軟」といわれています(Time Inc. v. Bernard Bgeis Assoc. ,293 F.Sup.,  130,144 (S.D.N.Y. 1968))

このことと関連して、フェアユースは、 事前に限界を明確にはできないが、 具体的事例とそれをとりまく利害状況を十分に調査し、 なにがフェアーかを裁判官が判断できるようにする制度で、 司法(裁判所)を信頼する制度だと いえると思います。

このような、限界があいまい柔軟な著作権の制限の原則は、 アメリカだけでなく、多くの国でとりいれられています。 ドイツの一般的な自由利用を定めた規定なども、このうちに入ります。

7.2理論的説明

では、フェアユースの根拠は何でしょうか。

・著作権の目的を達成するための内在的制約

著作権の目的つまり著作権法の存在意義を全うするためには、 その手段である著作者・著作権の保護が後退すべき場合があり、 フェアユースはこれに根拠をおくという説明ができると思います。 アメリカの判例でもフェア・ユースの原則は「著作権法の硬直的な適用が、 この法律で育成することを企図している創作力そのものを、 時として、抑圧してしまう場合に、 裁判所がこれを回避することを認めたもの」などと説明されることがよくあります(Iowa State Research oundation, Inc. v. American Broadcasting cos., 621 F.2d 57 (2d Cir.1980など)。

フェアユースは、いわば、著作権の内在的制約といえます。

(新たな創作活動を阻害しない) そして、著作権の目的が、 より良い創作活動への動機づけ(インセンティブの確保)を行い、 学問や文化の発達という社会的目的を結果的に達成することにあると考えると、 新たな創作活動を著作権法が不当に阻害しないようにしなければならないことになります。 他人の著作物にただ乗りして自分の著作物を作るというのはまずいのですが、 文化とか学問とかは、先人の業績を土台にして発展していくもので、 ただ乗りは全て悪だというわけにもいきません。 著作物を新たな著作物創作に利用されることによる、 原著作者の不利益と、 新著作物が社会に貢献する利益のバランスを図る必要があります。 ベルヌ条約や日本の法律などに明記されている引用についての著作権法の規定は、 このバランスを図ろうとする規定の一つと見ることができます。 しかし、引用の規定だけでは解決しない問題も沢山あります。 特に、著作物が多種に、著作者が多数に、 利用形態が多様になるマルチメディアでは、 著作物を特定し著作者を探しこれと交渉するというコストが膨大なものとなって新たな創作をあきらめるケースが増えてきています。 この問題も著作権法が生み出してしまった鬼っ子の問題として解決しなければならない筈です。

(創作へのインセンティブと利用促進とのバランス) フェアユースの問題は、 今述べたような狭い意味での「生産的」なことだけには限りません。 テレビ放映された著作物を、 見る時間をずらすために非営利的に録画することなどは、 非「生産的」なことですが、 これによる著作物創作へのインセンティブを害される程度と、 これから得られる利用促進の社会的利益のバランスを慎重に考慮して、 フェアユースかどうかを決める必要があります。 また、 教育とか図書館とかの場での利用や身体的障害者の利用なども、 直接的には非「生産的」なものですが、同様の考慮が必要です。 もっとも、このような人々や場に優遇措置をとるということは、 障碍者や子供などに、 広い意味で新たな創作活動をする基礎を与えるものだという説明もできます。

できるだけ広く良質な情報を普及させるため情報流通の自由と競争原理が動く場を確保するのも民主主義の基礎として社会的に重要な利益です。

(著作権の「暗黒面」が出ないようにする) 広く良質な情報を普及させるため情報流通の自由と競争原理が動く場を確保することは、 言論統制と独占の弊害という暗黒面がでないようにするという配慮にもつながります。

以上述べたことは、 著作権法の目的を創作活動へのインゼンティブを確保して、 学問とか文化の発展という公益を図るための政策的なものだと考えると、 創作へのインセンティブと利用促進の適正なバランスを図らなければならないということでかなりクリアーに出てくるように思います。

・著作権の他の制約原理との混合

著作権の権利の内容に形式的には抵触する場合だけでなく、広く、 誰からも許諾などを得ること無しに、 情報を利用できる場合全般について、 フェアユースという言葉が使われる場合もあります。 アメリカの判例でも、 アイデアなど著作権法の保護対象とならないものの利用が著作権侵害にならないことや、 本質的類似性がないことなど著作権の「侵害」とはいえない利用についてもフェアユースという言葉を使うものがあります。 しかしこのようなフェアユースの用法は、 法律的には正確なものではありません。 他方、著作者の黙示的承諾や承諾の擬制という形でフェア・ユースが語られる場面もあります(Nimmer on Copyright §13.05など参照)。 これを制度的に認めるべき場合には、判例の文言にかかわらず、 フェアユースの理論の問題として扱うべきでしょう。 また、現在米国の多くの著作権法解説書では、 現行法で特に条項を設けて明示的に認められている著作権の制限の規定と、 フェア・ユースを区別して論じています。 しかし、これらの規定には、 もともとはフェアユースの判例から形成されてきたものがあり、 また、著作権法を国際的に比較して、 権利保護と利用のバランスを図るという目的のためには、 個別的に立法化された権利の制限についての規定も、 検討の対象とする必要がありあます。 更に、フェアユースと表現の自由の抗弁(defence of the first amendment)とも区別して論じるものもあります(前掲Nimmer §1.10 など参照)が、 少なくとも情報流通の自由の確保という視点は、 今後のフェアユースを考えるにあたって重要な要素だと思います。

・様々な説明の試み-「定義を拒むほど柔軟」

しかし、 具体的事実を前にした裁判官の判断に依存する法理だということからすると、 理論的説明を固定してしまうのもおかしい訳です。 アメリカではゲーム理論に基づく説明なども試みられていますが、 理論的説明についても「定義を拒むほどに柔軟」といえるでしょう。

7.3歴史的説明

7.3.1 判例

最初の近代的意味での著作権法である1709年のアン女王法は、 著作権の権利の制限についての規定をもっていなかったのですが、 1740年ころまでには、 イギリスの裁判でこれが問題となっています(Gyles v. Wilcox, 2 Atk. 141, 143 (1740) (No. 130))。 「リアルでフェアな」他の作品の要約が「発見、学問、 及び判断」に寄与するものであれば、 アン女王法違反にはならないとするもので「公正な要約の法理」(fair abridgment doctrine)といわれていたようです。

フェア・ユースの米国での最も初期の判例としては、 Folsom v. Marsh, 9 F.Cas.342(C.C.D.Mass.1841) が挙げられます。 この判例で「公正な要約の法理」(fair abridgment doctrine)に替わる法理としてフェアユースの法理の実質が確立されました。 この事件でStory判事は、 法が著作権侵害とは認めないオリジナルな素材の正当な利用がありうるとして、 この種の問題を決定するにあたっては、 「選択されたものの性質と目的、 利用された資料の量と価値、及び、この利用が、 どの程度まで原著作物の販売を害し、利益を減少させ、 又は目的を損なうかを検討」すべきことを示しました。

ただ、 この判例では「フェアユース」という言葉自体は使われておらず、 この言葉が初めて使われたのは1869年のLawrence v. Dana (15 F. Cas. 26 (C.C.D. Mass. 1869)(No. 8,136)とされています。

7.3.2 立法

1976年アメリカで著作権法の大規模な改正が行われましたが、 この際、次のような条文が加えられました。

アメリカ1976年著作権法107条
106条の規定にかかわらず、批評、解説、ニュース報道、 授業(クラス・ルーム内の多数の複製を含む)、研究、 調査などを目的とする著作権のある著作物のフェアユース(複製物若しくはレコードへの複製、 又はその他の手段による利用を含む)は、 著作権の侵害とはならない。 特定の場合に著作物の利用がフェアユースとなるかどうかを決定するときに考慮すべき要素には、 次のものを含むも のとする。
(1)利用の目的および性格(利用が商業的性格か非営利の教育目的かを含む)
(2)著作権のある著作物の性質
(3)著作物全体との関連で利用された部分の量及び重要性
(4)著作物の潜在的市場又は価値に対する利用の及ぼす影響

1841年のストーリー判事が書いた判例の文言と極めて似ています。

この法典化は、 「現在[即ち1978年以前]のフェア・ユースの法理を言い直したものであり、 いかなる意味でも、これを変更し、狭め、広げるものではない」と、 立法説明書に明記されています(H.Rep.,p.66)。 従って、フェア・ユースの範囲と限界を決定するには、 1978年以前とともにその後の諸事件を参照しなければならないとされています。

条文の文言上も、 フェア・ユースであるための利用形態も目的も限定されておらず、 また列挙されていない他の要素を判断の要素に加えることができることは明白になっています。 上記の第4の要素「著作物の潜在的市場又は価値に対する利用の及ぼす影響」はフェアユース判断にあたって最も重要と考えられています。

また、この際著作権法は、その108条以下に、 個別的に多数の利用形態について免責の規定を設けました。 この個別的規定に漏れたものでも、 フェア・ユースとなることがあることは言うまでもありません。

7.4 フェアユースが曖昧なことで害はないか

法律の規定があいまいだと、人々が萎縮してしまって、 自由な活動ができなくなり困ることがあります。 しかし、これは制裁を加える方向の規定があいまいな場合に制裁される可能性をおそれるから起きてしまう現象です。 制裁を解除する方向の規定があいまいでもこのような萎縮効果はほとんどありません。 刑法の理論でも、制裁を加える条項、 たとえば「人を殺したら死刑にする」という規定は明確でなければならないけれども、 正当防衛や緊急避難など全体としての法秩序に違反しなければ違法性がないとか、 責任能力がなければ罪に問わないとかいう制裁を解除する方向ではあいまいでもよいこととなっています。 勿論両方の方向とも明確なことが最善なのですが、 法律を作る人は神ではないので事実上これは不可能なのです。

8フェアユースに関する主要な米国判例

米国のフェアユースを理解するのに役立つものとして、 1976年著作権法改正以後の有名な判例があります 。

8.1 Sonny v. Universal

最も有名なのがソニー対ユニバーサルの判例です(Sony Corp. of Am. v. Universal City Studios, Inc., 464 U.S. 417 (1984) )
ソニーのベータマックスというビデオカセットレコーダでテレビ放映された映画を録画することが著作権侵害だとして訴えられたものです。

・ビデオ・カセット・レコーダによる映画の録音録画は著作権法違反か

日本では、 著作権法30条(私的使用のための複製)で著作権侵害にはならない事例ですが、 アメリカでは明文ではこのような規定はなくフェアユースとなるかどうかが問題になりました。

・販売店、広告代理店の責任

録画した本人だけでなく、メーカー、販売店、 広告代理店も訴えられました。

1審はフェアユースを認め、2審は否定し、 最高裁で5対4という僅差でフェアユースが認められたものです。

ジェームズ・ラードナー「ファースト・フォワード」(パーソナルメディア ISBN4-89362-039-8) という本は、 この訴訟の背景を詳しく書いている面白い本です。 これによれば、録画した本人は、 著作権者である映画会社から予め責任免除の約束をもらって被告 になっていたそうです。 また、第2審の判決について厳しい世論の批判や、 市民団体の活動、 議会の著作権委員会の動きなど詳細に書かれています。 HRRCという市民団体は、 現在インターネットで著作権情報を流したりしていますが、 この第2審の批判運動の中で設立されたもののようです。 また、 グリーンペーパー・ホワイトペーパーの執筆責任者であるブルース ・レーマン氏は、 この時議会の著作権委員会にはいり、 すぐに映画会社のロビイストになったことなども書かれています。 グリーンペーパー・ホワイトペーパーを厳しく批判する勢力は、 ブルース・レーマン氏のこのような面も強く批判しています。

インターネットでアクセスできる日本語でのソニー対ユニバーサル事件の解説としては、
寺本振透「フェア・ユースの限界について(1)」 <http://mci.rittor-music.co.jp/back/7htm/koza7.html>
及び、齋藤浩貴 「アメリカのマルチメディア著作権判例(第1回)」 <http://shop.fsi.co.jp/wincons/vol22/saitou.html>

8.2 Campbell v. Acuff-Rose Music

・パロディー歌詞は許されるか

(Campbell v. Acuff-Rose Music, Inc., 114 S.Ct. 1164, 127 L.Ed.2d 500 (1994) )このキャンベル事件も、 パロディーは批評の一形態で文化的価値をもち、 パロディーの批判の力で原作の売り上げが落ちても問題にならないなとしてフェアユースを認めたものとして有名です。 日本でマッド・アマノ事件で、 パロディーは認められないとされたことと対照的です。

寺本「フェアユースの限界について(3)」 <http://mci.rittor-music.co.jp/back/9htm/koza9.html> にはこの判例の主要部分の翻訳がある。

9 CONFU(CONference on Fair Use)

フェアユースがらみで、 現在ホットな問題としてCONFUの問題があります。 インターネットの検索エンジンでCONFUを検索してみると、 多くの情報が得られることで、そのホットさがわかります。

9.1 CONFUとは何か -グリーン・ペーパー、ホワイト・ペーパーとの関係

前述のようにブルース・レーマンを座長とする知的財産権作業部会は、 ホワイトペーパー(1995)に先だって、 その予備草案であるグリンーン・ペーパーを1994年に出していますが、 グリーン・ペーパーは、 フェアユースのネット時代でのありかたについてガイドラインを作り上げるための著作権者とユーザ関係者の双方を集める協議会のスポンサーをすると述べました。 これに基づき、 組織されたのがフェア・ユース協議会(CONFU(the CONference on Fair Use)です。 要するに、 ここでのテーマであるネットワーク時代のフェアユースについて検討する政府がらみの全米的な大規模な会議です。

米国特許商標庁のCONFU関係のページ <http://www.uspto.gov/web/offices/dcom/olia/confu/> で後述のCONFU暫定報告書と第1フェーズの報告書を見ることが出来る。

9.2 1996年12月の暫定報告書と諸ガイドライン案

100近い団体が3年近くにわたって、議論し、 1996年12月には、CONFUは、 いくつかのガイドライン案を含む暫定報告書を公表しました。 公表されたガイドライン案は教育関係図書館関係のものです。 また、 視覚障碍者についてのものは後述のように1996年9月の著作権法改正で立法化されています。

CONFU暫定報告書:AN INTERIM REPORT TO THE COMMISSIONER <http://www.uspto.gov/web/offices/dcom/olia/confu/interim.html>

9.3 暫定報告書をめぐる諸団体の動き -ガイドラインを支持をしない団体が多数

CONFUは、 参加団体にこのガイドラインの提案を支持するかどうかの意見をもとめました。 支持の表明は、 ガイドラインに示された例がフェアユースにあたるかどうかについてのコンセンサスを示すもので、 ガイドラインからの逸脱があればあるほどフェアユースが適用されない危険が大きくなることへの同意を意味すると報告書に明記してあります。 ユーザー側からは、 フェアユースの範囲が狭すぎるいという反対が多く、 今年の4月にはブルース・レーマン座長は、 CONFUはコンセンサスを得るのに失敗したと公的に述べ、 IITFのスポンサーシップによるCONFU はなくなるのではないかと思われていました。

CONFU暫定報告書を巡る諸団体の意見表明については現在インターネットで大量の情報にアクセスできる。
たとえば、テキサス大学の著作権関係のページでCONFU報告書をめぐる最近までの状況が書いてあるものとして <http://www.utsystem.edu/OGC/IntellectualProperty/confu.htm>
オレゴン大学関係の著作権関係のページで、 CONFU関係のリンクがよく整って いるものとして <http://oregon.uoregon.edu/~csundt/cweb.htm>

9.4 1997年9月の第1フェーズの報告書

しかし、今年九月には、 これまでの協議を第1フェーズと位置づけて、 CONFUの第1フェーズの報告書というのが出されました。

CONFU第1フェーズの報告書:REPORT TO THE COMMISSIONER ON THE CONCLUSION OF THE FIRST PHASE OF THE CONFERENCE ON FAIR USE <http://www.uspto.gov/web/offices/dcom/olia/confu/conclutoc.html>

9.5 1998年度の予定

CONFU第1フェーズの報告書によれば、来年5月18日に、 同報告書記載のガイドライン案を再検討するため再度召集されることとなりました。 ネット時代のフェアユースについての論争は延長戦に入ったわけです。

10 CONFUでの検討事項

ガイドライン又はシナリオが作成されたテーマ
(1)デジタル画像の教育利用(2)遠隔教育 (3)マルティメディア教育(4)図書館 でのコンピュータプログラム
要約が示されたテーマ
(5)電子リザーブ・システム(6)図書館相互の貸与と文書配送
シナリオが討議されたもの
(7)記録保管(8)視覚障害者 (9)ライセンス (10)瞬間的複製(11)私的使用目的 のダウンロード
問題提起書面が出されたもの
(12)表現の自由(13)著作者のかかわり (14)国際調和(15)許諾(16)暗号(17)ク ラスルームとは何か(18)図書館とは何か
その他
(19)政府の情報(20)ブラウジング (21)フェアユースの目的

このように、 CONFUでの検討事項は多岐に渡る具体的なものです。 CONFUでは、1994年から、 21のグループにわけて討論を進めています。 視覚障碍者の問題についてはすでに1996年に立法がなされていますが、 ほとんどの問題は、 権利者と利用者の意見の一致をまだ見ていません。 この内容の詳細については、 私も学者の方や弁護士の方と研究グループを作って勉強を始めているところです。

11 日本法でフェアユースは認められるか

日本の著作権法は、 フェアユースとか自由利用を一般的に認める明文の規定がありません。 著作権法30条以下に個別的に著作権の制限をするいくつかの規定があるだけです。

11.1 日本の著作権法1条

日本の著作権法第Ⅰ条は、 「(著作物など)の文化的所産の公正な利用に留意しつつ、 著作者等の権利の保護を図り、 もつて文化の発展に寄与することを目的とする」としています。 「文化的所産の公正な利用」(フェアユース)と「著作者等の権利」のバランスをはかって「文化の発展に寄与する」ことが目的であるようにも読めます。 しかし、立法の際の国会における政府の説明では、 あくまで著作権法の目的は「、」のあとの部分で、 著作者等の保護を第一義に考えなければならないとします(衆議院文教委員会議録21号 昭和44年6月6日11頁、斉藤博 『概説著作権法(第二版)』(一粒社1992)14頁)。 それゆえ、権利の制限(自由利用)は、 例外的である限定列挙的に厳格に解さなければならないとする見解が支配的です。

日本の著作権法第1条(目的)この法律は、 著作物並びに実演、レコード、 放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、 これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、 著作者等の権利の保護を図り、 もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

11.2判例

東京地裁平成7年12月28日判決(判例時報1567号126頁)は著作権法30条以下で著作権の制限される場合やそのための要件を具体的かつ詳細に定め、 それ以上に「フェアユース」の法理に相当する一般条項を認めなかったのであるから、 著作物の公正な利用のために著作権が制限される場合を著作権法30条以下に定める場合に限定する趣旨だとして、 「フェアユース」を否定しました。 また東京高裁平成6年10が圧27日判決(判例時報1524号118頁)も「フェアユース」を否定しています。 但し後者の判決では、 仮にアメリカと同じようなフェアユースの規定があったとしてもこの件はフェアユースにあたらないと判示しています。

後者の判例については、 寺本「フェアユースの限界について(3)」 <http://mci.rittor-music.co.jp/back/9htm/koza9.html> の脚注に紹介されている

11.3権利の制限の諸規定の類推解釈

法解釈の技術として、 立法目的を達成するために共通の基盤があれば、 法律の文章に書いていないことについても、 それについてあたかも同様の法律の文章があるかのように解釈するという類推解釈という手法があります。

たとえば、著作権法32条2項は政府の広報資料などは、 「説明の材料として新聞紙、 雑誌その他の刊行物に転載することができる。」としています。 ネットワークのホームページやML、 NGに載せて良いとはかいてありませんが、 これも同じように扱えないかということです。

日本の著作権法第32条(引用)公表された著作物は、 引用して利用することができる。 この場合において、その引用は、 公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、 研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2 国又は地方公共団体の機関が一般に周知させることを目的として作成し、 その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、 報告書その他これらに類する著作物は、 説明の材料として新聞紙、 雑誌その他の刊行物に転載することができる。 ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、 この限りでない。

また、第39条(時事問題に関する論説の転載等)は新聞の時事論説などは「他の新聞紙若しくは雑誌に転載し、 又は放送し、若しくは有線放送することができる。」としています。 有線送信してよいとか公衆送信してよいとかは書いてありませんが、 これも同じに扱えないかということです。

日本の著作権法第39条(時事問題に関する論説の転載等)新聞紙又は雑誌に掲載して発行された政治上、 経済上又は社会上の時事問題に関する論説(学術的な性質を有するものを除く。)は、 他の新聞紙若しくは雑誌に転載し、又は放送し、 若しくは有線放送することができる。 ただし、これらの利用を禁止する旨の表示がある場合は、 この限りでない。 2 前項の規定により放送され、又は有線放送される論説は、 受信装置を用いて公に伝達することができる。

現に、現在の日本で、権利者側と利用者側とで、 意見の対立が起きている問題としては、 著作権法31条(図書館等における複製)の問題があります。 この条文からは図書館等は図書館相互協力として「他の図書館等の求めに応じ、 絶版 その他これに準ずる理由により一般に入手することが困難な図書館資料の複製物を提供する場合」には、 営利を目的としない事業として図書館資料を用いて著作物を「複製することができる」とされています。 国立大学図書館協議会著作権特別委員会著作権ワーキング・グループの「平成8年度報告」 <<http://www.ulis.ac.jp/library/Kdtk/Rep/59/59.html> によれば、 日本複写権センターは図書館相互協力について「権利処理のないfaxあるいは電子的手段による複写物の送付は、 明らかに権利者の有線送信権を侵害するものである」と表明したが、 図書館側は「大学図書館は学術文化の伝承とその再生産に係わる機関として、 学術情報の生産に資する文献の複写および配布を行うことについて、 図書館活動のための著作権の権利制限の枠の中にあること」を改めて主張したとのことです。 私は図書相互のファックスや電子送信は、 著作権法2条1項17号にいう「公衆によつて直接受信されることを目的」とする送信とはいえないので有線送信権の侵害にはならないと考えます (山本順一「電子出版と電子図書館における著作権」(情報管理40巻8号710頁も同旨で更にc 著作権法31条1号2号についても検討している)、 仮に著作権法上の「有線送信」に該当するとした場合には、 faxあるいは電子的手段による複写物の送付も、 著作権法31条の「複製」と同じように扱って良いかどうかが問題になります。

日本の著作権法2条1項17号 有線送信 公衆によつて直接受信されることを目的として有線電気通信の送信(有線電気通信設備で、 その一の部分の設置の場所が他の部分の設置の場所と同一の構内(その構内が二以上の者の占有に属している場合には、 同一の者の占有に属する区域内)にあるものによる送信を除く。)を行うことをいう。
第31条(図書館等における複製)図書、 記録その他の資料を公衆の利用に供することを目的とする図書館その他の施設で政令で定めるもの(以下この条において「図書館等」という。)においては、 次に掲げる場合には、 その営利を目的としない事業として、 図書館等の図書、 記録その他の資料(以下この条において「図書館資料」という。)を用いて著作物を複製することができる。
一 図書館等の利用者の求めに応じ、 その調査研究の用に供するために、 公表された著作物の一部分(発行後相当期間を経過した定期刊行物に掲載された個個の著作物にあつては、 その全部)の複製物を一人につき一部提供する場合
二 図書館資料の保存のため必要がある場合
三 他の図書館等の求めに応じ、 絶版その他これに準ずる理由により一般に入手することが困難な図書館資料の複製物を提供する場合

私は、立法の趣旨からすれば類推解釈をしてもよいのではないかと考えているのですが、 前に述べた支配的見解の立場では難しそうです。 これだと、 政府の広報資料や新聞の時事論説の問題については、 著作権法は、 新聞・雑誌・放送は報道言論の機関として認めるが、 ネットワークには認めないという合理性のない差別をしているように思えます。 また図書館相互協力などの問題については、 図書館側が報告書で主張するように「学術文化の継承と再生産を目的とする」「大学図書館の活動のために有線送信権を制限する規定がないことは、 ネットワーク時代において、 わが国学術文化の発展を著しく阻害する要因となる」ように思います。

11.4 権利濫用

日本の著作権法はフェアユースを一般的に認める規定はありませんが、 より基本的な民法1条には、 権利濫用禁止という極めて一般的な規定があります。 特許法などでは、 権利濫用を根拠に権利行使を制限した判例はかなりあります。 著作権法でも最近権利濫用を認めた判例がでてきました(東京地裁平成8年2月23日判決(判例時報1561号123頁))。

11.5 その他

その他、著作権侵害として責任を問うためには、 侵害が「実質的違法性」を備えていなければならないとしたり、 常識的に許容されると考えられる行為は「黙示の承諾」や「推定的承諾」があるとして救済することも考えられます。 後者の例として東京地裁平成9年8月29日判決(判例時報1616号148頁)

12 新たな著作権利用形態と日本法

CONFUの検討結果などをふまえ、 新たな著作権利用形態と日本法の対応についていくつか具体的に考えてみたいと思います。

12.1視覚障碍者

日本の著作権法は、 37条で視覚障碍者のための点字による複製と、 点字図書館など極めて限定された場所での録音の貸し出しを認めています。 しかし、点字への変換は極めて時間がかかり、 視覚障害者が気軽に利用できる場所での貸し出しのための録音は、 著作者の許諾を得るのに時間がかかってしまい、 視覚障碍者が、 最新の情報へのアクセスするのには困難な問題がありました。

CONFUでも、障碍者のためのフェアユースについて検討され、 これについては1996年9月著作権法の改正が実現しました(Public Law 104-197)。 この改正法は公表されたドラマ的でない言語著作物(a previously published, nondramatic literary work) は、 障碍者の利用に供するため、点字はもとより、録音も、 自由にできることが規定されています。 場所の限定などはありません。 そもそも言語著作物は、 印刷やデ ジタル形式の文字で利用するほうが健常者には便利で、 録音という利用しにくい形になっていること自体が障碍者用なのだという考え方に基礎をおいているよう です。 現在の技術では文字情報を音声化するのはOCRやコンピュータによって短時間に容易にできます。 視覚障害者の最新情報へのアクセスへの障害が相当に軽減されたといえると思います。

遺憾ながら、 これと同様のことを日本法でも認めるのは法改正を待たなければ支配的見解では困難でしょう。 しかし、これはいかにも不合理だと思います。

日本の著作権法第37条(点字による複製等)公表された著作物は、 盲人用の点字により複製することができる。
2 点字図書館その他の盲人の福祉の増進を目的とする施設で政令で定めるものにおいては、 もつぱら盲人向けの貸出しの用に供するために、 公表された著作物を録音することができる。

米国の1996年の視覚障碍者関する著作権法改正については <http://lcweb.loc.gov/nls/reference/facts-cop.html> が本文と簡単な解説を付している。

12.2学習研究などのためのその場限りの利用

ネットワーク技術は、 場所的に離れた人々の間で学習会や研究会をもち、 著作物を検討資料にすることが可能になりました。 各地に点在する学者などが、 さほど多くない人数(但し「公衆」には該当する)で、 非営利の研究会を、 パスワードなどで管理されたネットワークやテレビ会議システムを用いて行い、 参加者が議論の過程で手持ちの著作物を参加者に提示するため送信し、 受信側は、 これをディスプレイで見ることはできるがそれは「その場限り」で保存はできない、 というような場合を考えてみて下さい。 このような研究会はネットワーク技術がはじめて可能にした学術や文化の発展に貢献するものであり、 利用が著作物の潜在的市場や価値に実質的に影響を与えるとは思えません。 関連しそうな日本の著作権法の規定を、 著作権の制限は限定的に厳格に解するという支配的見解に従って検討してみると、 このような場合でも、 著作権侵害になる可能性が大きいといわざるをえません。 日本の著作権法は、 著作権の制限に関する規定については、 「場」の性格、「人」の資格、 「行為」の態様などをあまりに限定しすぎていて、 これらの要素の全てが変化しつつあるネットワーク社会に対応しきれていないと言わざるをえません。 しかし著作権者の立場でものをみれば、 著作権の制限を明示的に大きく緩めることには、 予測できない不安感があるものと思います。 具体的事実を事後的に裁判官が精査したうえで著作権侵害の責任を負わせるかどうかを決めるというフェアユースの基本的考え方こそ、 変転しつつ発展するネットワーク社会で権利者と利用者の利害を妥当に調整するのに最も有効だと思います。

日本の著作権法第34条(学校教育番組の放送等)公表された著作物は、 学校教育の目的上必要と認められる限度において、 学校教育に関する法令の定める教育課程の基準に準拠した学校向けの放送番組又は有線放送番組において放送し、 又は有線放送し、 及び当該放送番組用又は有線放送番組用の教材に掲載することができる。
2 前項の規定により著作物を利用する者は、 その旨を著作者に通知するとともに、 相当な額の補償金を著作権者に支払わなければならない。

第35条(学校その他の教育機関における複製)学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者は、 その授業の過程における使用に供することを目的とする場合には、 必要と認められる限度において、 公表された著作物を複製することができる。 ただし、当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。

12.3ブラウジング

まず、仕事のために端末のブラウザーでWWWのコンテンツをブラウズする場合(ハードディスクなどにローカルキャッシュする場合も含む)や、 プロキシー・サーバーでキャッシュする場合など、 インターネットの通常の利用が著作権法の規定のうえでは著作権侵害になりかねないことがあり、 これについて黙示の許諾というだけでなくフェアユースであることを明確にすべきだという主張があります。

ブラウジングというのは、もともと、 本の拾い読み・立ち読み、書棚をあさること、 店などで漫然と商品を見たり調べたりすることなどを意味しています。 CONFU関連資料を見ていると、ブラウジングという言葉は、 インターネットでのブラウザーの使用ということにとどまらず、 この言葉の本来の意味で使われていることがあり、 図書館関係者などが、 「ブラウジングの権利」とか「読む権利」を強く主張しています。

前に述べたように、 ネットワークでは編集されない選択の手掛かりが少ない情報があふれています。 これを選択する基礎が適正に得られなければ、 ネットワークによる文化や学問の発展は困難でしょう。 まだ具体的な形態はさほど明確ではありませんが、 なんらかの形で情報選択の基礎を得る権利を保障し、 その提供を奨励する仕組みが必要であるように思います。 この提供を著作者やそれから許諾を得た者だけに限ると誘導的な故意に誤った情報選択の基礎がだされてしまう危険があります。 検索エンジンにアクセス率のよい誤ったキーワード(たとえば有名企業名)をホームページの作者が提供して問題を生じさせている例もあります。 情報選択の基礎の提供についても自由競争が行われうる基盤を確保しなければならないだろうと思います。

フェアユースはこれを実現するために最も効果的な法理論ではないかと思います。

ブラウジングの権利、読む権利に言及するものとして
イェール大学図書館のAnn OkersonのWho Owns Digital Works? <http://www.mmdc.fandm.edu/Tips/Copyright/SCIAM_copyright/copyright.html>
Jessica Litman, The Exclusive Right to Read, 13 Cardozo Arts & Entertainment L.J. 29, 40-43 (1994).
Julie Cohen,A Right to Read Anonymously: A Closer Look at Copyright Management in Cyberspace, Connecticut Law Review, vol. 28 (1996)
なお、 David Nimmer,BRAINS AND OTHER PARAPHERNALIA OF THE DIGITAL AGE <http://www.harvnet.harvard.edu/online/moreinfo/nimmer.html>はこのような権利の当否について論じている

13 まとめ

日本でフェアユースを確立するのは支配的見解によればかなり困難ですが、 デジタル化ネットワーク化が立法で追いつけないほどに進んで変化すしていくという社会環境のもとで、 著作権の強化がはかられる以上、 何らかの法的技術を用いて裁判官の事後的判断で制裁を免除することができるようにしなければ、 著作権法があるがゆえにかえって文化と技術の停滞を招くということになりかねないと思います。

Updated Jan.12,1998 Eisuke Fujimoto

このページを評価してください

このWebページは役に立ちましたか?
よろしければ回答の理由をご記入ください

それ以外にも、ページの改良点等がございましたら自由にご記入ください。

回答が必要な場合は、お問い合わせ先をご利用ください。

ロゴ:JPNIC

Copyright© 1996-2024 Japan Network Information Center. All Rights Reserved.